三池鉄道
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接続路線
車両
1982年頃には、機関車、貨車あわせて783両が在籍[3]していた。
電気機関車
廃止時の2020年5月、22t級機関車の9・11・12号と、45t級機関車の18・19号が稼働中であり、45t級機関車の20号と22t級機関車の2・4号が部品取り用として留置中であった。なお、電源車として、デ1・3・4が9・11・12と連結の上で使用されていた。
- 20 - 元南海電気鉄道ED5154。1948年東芝製45t機。廃車体が構内に留置されていたが、2022年に解体。
- 22 - 元西日本鉄道宮地岳線ED201。1950年東芝車輛45t機関車を1958年に購入。1997年まで使用されたのち解体。
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1号機
1911年シーメンス製の20t B形電気機関車。保存車。 -
11号機
1916年三菱造船製の20t B形電気機関車。運行終了時(2020年5月)まで稼働。 -
18号機
1936年芝浦製作所製の45t B-B形電気機関車。運行終了時(2020年5月)まで稼働。 -
電源車デ-4
工場内では引火性の強い物質を扱う区域があり、その区域内では専用鉄道はパンタグラフからのスパークを避けるため非電化とし、電源車から電気機関車へ電力を供給して走行する。
三池炭鉱閉山まで使用されていた電気機関車のうち、5号機(1908年GE製15t B形)、1号機(1911年シーメンス製20t B形)、5号機(1915年三菱製20t B形)、17号機(1936年東芝製45t B-B形)の4両が保存されている。大牟田市内の工場敷地で保管され、毎年11月3日に大牟田市が開催する近代化遺産一斉公開の日に限り公開されていたが、2015年9月1日からGCF(ガバメントクラウドファンディング)により資金を集め[4]、2016年8月22日に三川坑跡に移設[5]、同年10月15日より土日祝日に限り一般公開されている[6]。
蒸気機関車
延べ26両が在籍。以下、主なものを挙げる。
- 1号 - 1891年の開業時に導入、当初は無番。釜石鉱山より譲り受けたイギリス・シャープスチュアート社製のサドルタンク機で、1878年製造。1946年まで使用。
- 2号・3号 - 1891年の開業時に導入、当初は無番。アメリカ・ボールドウィン社製のサドルタンク機。団琢磨により「松風(のち2)」・「村雨(のち3)」と命名される。[7]
- 4〜6号 - 4・5号はイギリスブラック・ホウソン製、6号は同国エイボンサイド・エンジン製の同型機関車。[8]
- 8〜16号 - 1902年から1907年にかけてアメリカ・ポーター社から輸入した9両の機関車のうちの3両。サドルタンク式機関車で、運転整備重量22.10t、弁装置スチブンソン式、軸配置B1、動輪直径914mmである[9][10]。
貨車
- ハト形 - 10t積の無蓋車。ハト37とハト152が群馬県の旧・長野原線太子駅構内で保存中。
- セコ形 - 15t積の石炭車。国鉄セナ1形と同型。
- セロ形 - 16t積の石炭車。自社発注車。
- セロ形 - セロ形の3000番台はコークス専用。塗装は空色であった。
- セナ形 - 17t積の石炭車、国鉄セナ1形、ホラ1形の払い下げ車。
- ハロ形 - 16t積の無蓋車
- ヒオ形 - アーチバーの台車を持つ30t積の無蓋車
- ユト形 - 10t積と12t積の有蓋車の2タイプが存在した。101番以降の車両は国鉄テ1形の払い下げ車。
客車
従業員輸送列車は1946年(昭和21年)より始められ、三池港 - 平井間、三池港 - 万田間で朝5時から深夜1時まで運転されていたが、1984年(昭和59年)時点で社宅の集約とマイカー通勤により利用が激減し、乗客ゼロの列車もあり、一日300人程度となっていた。
- コハ103・104・106 1948年東芝製。定員116人。木造客車の台枠(トラス棒)を流用し半鋼製車体(客用扉3、貫通路片側のみ)を新製。最大長さ16830mm、ロングシート、暖房設備なし[11]
- ホハ202-204 1950年日本車輌製造製。定員160人。(国鉄63系電車#運輸省割当以外の車両を参照)
事業用車
- 検重車・検1・検2 宮浦駅構内に放置されている。自重は検1が25t、2が15t。日本に現存する唯一の車両である。
その他
- 1981年(昭和56年)1月11日に放送された『西部警察』第65話「博多港決戦!!」のロケで、グリーンランドにいた犯人グループの1人が5号電気機関車(1915年の三菱製)牽引の三池鉄道の通勤列車(客車はコハ100形とホハ200形タイプの2両編成)に乗り込んだ末、銃撃戦を繰り広げるシーンが撮影された。[12]
- ^ 今尾 恵介『日本鉄道旅行地図帳 九州沖縄 大改訂2014』新潮社、2013年10月10日、26頁。ISBN 978-4107902375。
- ^ “炭鉱電車運行終了に万感 熟練の整備で支え40年「さみしかですね」”. 西日本新聞. 西日本新聞社 (2020年5月8日). 2023年7月14日閲覧。
- ^ 藤岡雄一・服部朗宏「写真で見る三井三池の鉄道」『鉄道ピクトリアル』1992年3月臨時増刊号、電気車研究会、130頁。
- ^ “ふるさとチョイス 明治日本の産業革命を支えた世界文化遺産「三池炭鉱」を世界に発信する! プロジェクト「世界遺産じゃなかばってん」第一弾! 炭鉱電車ば見せたか!の巻”. トラストバンク. 2015年9月7日閲覧。
- ^ “特集 炭鉱電車が引っ越しました”. 広報おおむたweb 2016年9月1日・15日合併号(No.1184). 2016年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月14日閲覧。
- ^ 「眠りから覚めた炭鉱電車 大牟田・三川坑跡で4両公開始まる 100歳超、現存で最古級 [福岡県]」『西日本新聞』、2016年10月28日。2023年7月14日閲覧。オリジナルの2016年10月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ 藤原義弘『写真でたどる三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車』みらい広告出版、2020年、36-38頁。
- ^ 藤原義弘『写真でたどる三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車』みらい広告出版、2020年、40頁。
- ^ 高井薫平『小型蒸気機関車全記録』講談社、2012年、179頁。
- ^ 藤原義弘『写真でたどる三池炭鉱専用鉄道の略歴と機関車』みらい広告出版、2020年、44-45頁。
- ^ 『世界の鉄道 1971年版』朝日新聞社、1970年、186-187頁。
- ^ コハ100とコハ200の車内が映るシーンがあるが両形式とも本来、運転台がある場所は車掌室となっていた。
固有名詞の分類
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