メブ・ケフレジギ メブ・ケフレジギの概要

メブ・ケフレジギ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 18:13 UTC 版)

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メブ・ケフレジギ
選手情報
フルネーム メブラトム・ケフレジギ
ラテン文字 Mebrahtom Keflezighi
国籍 アメリカ合衆国
種目 長距離走マラソン
生年月日 (1975-05-05) 1975年5月5日(46歳)
生誕地 エチオピア(現在エリトリア)・アスマラ
身長 165cm
体重 58kg
自己ベスト
1500m 3分42秒29 (1998年)
3000m 7分48秒81 (2003年)
5000m 13分11秒77 (2000年)
10000m 27分13秒98 (2001年)
ハーフマラソン 1時間01分00秒 (2009年)
マラソン 2時間08分37秒 (2014年)
 
獲得メダル
アメリカ合衆国
陸上競技
オリンピック
2004 アテネ 男子 マラソン
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経歴

2012年ロンドンオリンピック代表選考レースにて

ケフレジギは、12歳のときに家族とともに、内戦の続くエチオピア(エリトリア)を離れ難民となりイタリアを経由してアメリカへ亡命。サンディエゴに移り住んだ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校在学中に陸上競技で数多くのタイトルを獲得。1998年にアメリカに帰化。同年、大学を卒業。

当初はトラックの選手として活躍し、2000年全米選手権10000mで優勝。シドニーオリンピックへの出場を決める。しかし、シドニーでは体調を崩し、12位と本調子を出せずに敗退。2001年には、10000mで15年ぶりの米国新記録となる27分13秒98とマーク。2002年には、2年ぶりに全米選手権の10000mを制覇した。

ケフレジギは、世界選手権にも、2001年、2003年とともに10000mに出場。しかし、2001年エドモントン大会では23位。2003年パリ大会では16位と惨敗している。

2004年、全米選手権の10000mを制し、10000mでアテネオリンピックに代表になれるところであったが、オリンピックにはマラソンで出場。イタリアステファノ・バルディーニに次いで2時間11分29秒で2位、アメリカ人選手としては1976年モントリオールオリンピックで銀メダルを獲得したフランク・ショーター以来の銀メダルとなった。

その後はマラソン選手として活躍。2004年のニューヨークシティマラソンでは自己ベストとなる2時間09分53秒で2位。翌年2005年のニューヨークシティマラソンでは3位、2006年ボストンマラソンでも3位となる。しかし、2008年北京オリンピックには、アメリカの代表選考レースで8位となり出場を逃した。

北京オリンピック後も競技を続け、自己ベストを小刻みに更新するレースが続いた。2009年ニューヨークシティマラソンでは2時間09分15秒でマラソン初優勝。さらに2012年ロンドンオリンピックのアメリカの代表選考レースでも2時間09分08秒の自己ベストで優勝し、37歳で8年ぶりのオリンピック出場となった。ロンドンオリンピックでは、スティーブン・キプロティチアベル・キルイウィルソン・キプサング・キプロティチらのメダル争いからは遅れるものの、2時間11分06秒で4位入賞を果たした。

2014年ボストンマラソンでは、2時間8分37秒のタイムで、アメリカ人選手としては1983年以来31年ぶりとなる優勝を飾った[2]

自己ベスト

  • 1500m - 3分42秒29 (1998年)
  • 3000m - 7分48秒81 (2003年)
  • 5000m - 13分11秒77 (2000年)
  • 10000m - 27分13秒98 (2001年)
  • ハーフマラソン - 1時間01分00秒 (2009年)
  • マラソン - 2時間08分37秒 (2014年)



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