メフルダード・プーラーディーとは? わかりやすく解説

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メフルダード・プーラーディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 02:36 UTC 版)

メフルダード・プーラーディー
名前
本名 メフルダード・プーラーディー
ラテン文字 Mehrdad Pooladi
ペルシア語 مهرداد پولادی
基本情報
国籍 イラン
生年月日 (1987-02-26) 1987年2月26日(38歳)
出身地 キャラジ
身長 181cm
選手情報
ポジション MF(DMF)/DF(LB/CB)
利き足 左足
ユース
2002-2006 ペイカーン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2007 ペイカーン 18 (2)
2007-2009 エステグラル 37 (1)
2009-2010 トラークトゥール・サーズィー 30 (6)
2010-2012 メス・ケルマーン 41 (3)
2012 ペルセポリス(loan) 0 (0)
2012-2014 ペルセポリス 23 (0)
2014-2017 アル・シャハニア 62 (5)
2017-2019 バンコク・ユナイテッド 10 (1)
2019-2020 アル・フライティヤート 21 (0)
2020 ムアイザル
代表歴
2005-2006  イラン U-20 18 (0)
2006-2007  イラン U-23 5 (0)
2011-2015  イラン 29 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

メフルダード・プーラーディーペルシア語: مهرداد پولادیMehrdad Pooladi1987年2月26日 - )は、イランの元サッカー選手。元イラン代表。現役時代のポジションはMFまたはDFで、守備的ミッドフィールダーや左サイドバック、センターバックで出場する事が多いが、元々はフォワードや攻撃的ミッドフィールダーであったため、これらのポジションやウィンガーとしても出場出来るユーティリティープレーヤーである[1][2][3]。なお、兵役免除証を偽造したため、イラン代表を追放された[4]

クラブ経歴

ペイカーンFCの下部組織出身で2006年にトップチームに昇格。2007年8月にナーセル・ヘジャージー監督に見込まれてエステグラルFCに移籍。ファジュル・セパーシーFC戦で得点をあげたのがエステグラルでの唯一の得点となった。ヘジャージー監督が解任され、フィールーズ・カリーミー監督になるとポジションを失い、起用されなくなった。2009-10シーズンはトラークトゥール・サーズィーFCに移籍、ここではセントラルミッドフィールダーとして起用され、1シーズンの在籍ながら6ゴールをあげた。アザディ・スタジアムで行われた古巣・エステグラル戦では40mの距離からフリーキックを決めた。

2010年7月にメス・ケルマーンFCに移籍。主にミッドフィールダーとして起用されたが、2011-12シーズンに監督に就任したミロスラヴ・ブラジェヴィッチ監督からは構想外とされ、2012年1月にペルセポリスFCにレンタル移籍した。しかし、リーグの移籍期限日に移籍が間に合わなかったためにリーグでの出場は出来ず、登録が間に合ったAFCチャンピオンズリーグ2012のみの要員になってしまった。同大会では7試合に出場、アル・シャバーブ・アル・アラビークラブ戦ではフリーキックから得点をあげた。その後、2年の契約で完全移籍した[5]。エステグラルでは主として左サイドバックを務めたが、守備的ミッドフィールダーや左ウィンガーとして起用される事もあった。そして彼のインテンシティーの高さはサポーターの気に入る所となったばかりか、2014 FIFAワールドカップでの活躍によってプレミアリーグ所属のサウサンプトンFCハル・シティAFCスウォンジー・シティAFCといったクラブからも注目されるようになった[6][4]。2014年9月17日にイラン・イスラム共和国サッカー連盟は徴兵による彼とペルセポリスの2014-15シーズンの契約に関する判決を言い渡し、この判決によって契約は無効とされ、したがって彼は無所属の身となった[7][8]

無所属となった彼はミゲル・アンヘル・ロティーナ監督率いるカタールのアル・シャハニアSCに2年契約で加入[9]。2014年12月5日には同じくイラン代表であるマスード・ショジャエイにアシストを決めた[10]。また、2014-15シーズンの終盤には35mの位置からのフリーキックを決めた[11][12]。これらの活躍によって2シーズンの契約延長を掴んだ。

2017年6月にタイ・リーグバンコク・ユナイテッドFCに移籍[13]

代表経歴

2014年、モンテネグロ代表戦にて

U-20代表としてAFCユース選手権2006の3試合全てに出場した[14][15][16]。また、2005年には同じくU-20代表でヴァレンティン・A.グラナツキン記念国際ユース大会で5試合出場している[17]。U-23代表としては2006年アジア競技大会に参加した。

A代表初出場は2011年7月、カルロス・ケイロス監督の下行われたマダガスカル代表戦であった。監督は左サイドバックとして出場させ、彼は代表レギュラーの左サイドバックとして地位を確立した。

2014年6月1日には2014 FIFAワールドカップに挑むイラン代表のメンバーが発表され、彼はこの中に含まれていた[18]。彼は初戦のナイジェリア代表戦で出場しただけでなく、この試合で素晴らしいパフォーマンスをみせ、国際サッカー連盟が初週のベストプレーヤーランキングでトーマス・ミュラーに次いで2位、9.7ポイントを獲得した[19]。第2戦のアルゼンチン代表戦でもその好調は続き、リオネル・メッシらの前でドリブルで魅せた。

同年12月30日に発表されたAFCアジアカップ2015の際もカルロス・ケイロス監督から招集された[20]。年明けて1月23日に行われた同杯準々決勝、イラク代表戦ではベンジャミン・ウィリアムス主審からレッドカードを提示されたが、このレッドカードは物議を醸した[21][22]。その後、兵役免除証の偽造によってイラン代表を追放されたため、代表最後の出場はレッドカードでの退場となった[4][23]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 29試合 0得点(2011年-2015年)[24]


イラン代表 国際Aマッチ
出場 得点
2011 7 0
2012 8 0
2013 2 0
2014 7 0
2015 5 0
通算 29 0

タイトル

エステグラル

出典

  1. ^ Iranvij-Group (2000年1月1日). “خانه تکانی ویژه در پرسپولیس!”. 2000年1月1日閲覧。 エラー: 閲覧日がウィキペディアの設立以前の日付です。
  2. ^ پولادي هافبك الشحانيه نه دفاع چــــــــــپـــــــــــ !”. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ پو?لادي: پست بازي بر?ايم مهم نيست”. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ a b c Mehrdad Pooladi is not coming back!” (2015年5月27日). 2017年11月13日閲覧。
  5. ^ Pouladi joins Persepolis Archived 2012-06-06 at the Wayback Machine.
  6. ^ EXCLUSIVE: Southampton, Swansea and Hull in for Iran World Cup stars Pooladi and Hajsafi”. dailystar (2014年7月12日). 2014年7月12日閲覧。
  7. ^ انضباطی”. 2014年10月15日閲覧。
  8. ^ admin (2014年10月15日). “Mehrdad Pooladi saved by FIFA !”. 2014年10月15日閲覧。
  9. ^ الشيحانية يخطف الايراني مهرداد من هال سيتي ويوقع معه لمدة عام”. 2016年9月3日閲覧。
  10. ^ Shojaei and Dejagah on target in Qatar [VIDEO]”. 2016年9月3日閲覧。
  11. ^ Rex Xerxes (2015年6月4日). “Mehrdad Pooladi Long Range Goal HD”. 2016年9月3日閲覧。
  12. ^ Han nets brace as QSC punish clueless Shahaniya 4-1” (2015年5月10日). 2016年9月3日閲覧。
  13. ^ Professional Thai club signs Iranian midfielder Pooladi”. presstv (2017年6月6日). 2017年11月13日閲覧。
  14. ^ AFC Youth Championship 2006: Heartbreak for Iran as Japan, DPR Korea go through to last eight
  15. ^ AFC Youth Championship 2006: Jong, Kim double up as DPR Korea thrash Iran
  16. ^ Iran rally for 3-1 win over Tajikistan
  17. ^ RSSSF
  18. ^ Queiroz trims Iran squad to 24”. FIFA.com (2014年6月1日). 2014年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月1日閲覧。
  19. ^ FIFA.com (2014年6月18日). “Muller sets early pace, Pooladi on his shoulder”. 2016年9月3日閲覧。
  20. ^ Queiroz Names Team Melli Squad”. afcasiancup.com (2014年12月30日). 2015年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月3日閲覧。
  21. ^ Gaskin, Lee (2015年1月24日). “Former Socceroos blast referee Ben Williams for 'embarrasing' [sic] send-off in Iran's Asian Cup loss to Iraq”. 2016年9月3日閲覧。
  22. ^ Video - News.com.au”. 2016年9月3日閲覧。
  23. ^ Iran vs. Iraq”. national-football-teams. 2017年11月13日閲覧。
  24. ^ メフルダード・プーラーディー - National-Football-Teams.com

外部リンク




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