ホアキン・ロドリーゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 04:47 UTC 版)
生涯
スペインのバレンシア州のサグントに生まれる。3歳のころに悪性ジフテリアにかかり、視覚障害者となり視力を失う。8歳でピアノとヴァイオリンの学習を始める。地元バレンシアでフランシスコ・アンティチに、パリのエコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスに作曲を師事。短期間スペインに帰国した後、パリに舞い戻って音楽学を初めモーリス・エマニュエルに、その後はアンドレ・ピロに師事。1924年に管弦楽曲《子どものための5つの小品》によりスペイン国家賞を授与される。1933年1月にバレンシアにてトルコ人ピアニストのビクトリア・カムヒと結婚し、一女のセシリア(1941年1月27日 - )を儲ける。1947年よりマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当した。
代表作のアランフエス協奏曲は1939年にパリにおいて、クラシック・ギターの独奏と管弦楽のために作曲された。親しみやすい中間楽章の「アダージョ」は、20世紀のクラシック音楽としては最も有名な楽曲のひとつとなっており、マイルス・デイヴィスが1960年にLP「スケッチ・オブ・スペイン」の中核として取り上げるなど、様々な編曲によって広く知られている。この作品の成功は、20世紀におけるギター協奏曲の創作に先鞭をつけたとともに、その後のジェームズ・ゴールウェイやジュリアン・ロイド・ウェバーからロドリーゴへの協奏曲の依嘱につながることとなった。
1954年にアンドレス・セゴビアの依嘱により、《ある貴紳のための幻想曲》を作曲。《アンダルシア協奏曲》はセレドニオ・ロメロから、3人の息子と共演できる作品を打診されて創られた作品である。
1991年にスペイン国王ファン・カルロスより貴族に列せられ、「アランフエス庭園侯( Marqués de los Jardines de Aranjuez )」の爵位を授かった。1996年には、スペイン国民にとって最高の名誉を意味するアストゥリアス王太子賞を授与されたほか、1998年にはフランスの芸術文化勲章を獲得した。
1999年にマドリードにて老衰のため逝去。享年97。ビクトリア夫人とともにアランフエスの墓地に永眠している。生前は後進の育成にも力を入れ、中国の女性ギタリストスーフェイ・ヤンのマドリードでのデビューリサイタルに出席した。亡くなる半年前には、テレビ番組の収録を通じ、当時パリに在住していたギタリスト村治佳織が訪れて彼が作曲した曲を数曲披露した[1]。
- ^ 吉永みち子 (2016年1月20日). “病と引き換えに得た羽根で広がる 自由で豊かなギターとの世界”. WEDGE Infinity (ウェッジ) 2016年7月31日閲覧。
固有名詞の分類
近現代の作曲家 |
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近現代音楽の作曲家 |
ジョセフ・シュワントナー モーリス・デュリュフレ ホアキン・ロドリーゴ ヨハン・デ=メイ バリル・フィリップス |
スペインの作曲家 |
エミリオ・プジョル ディエゴ・オルティス ホアキン・ロドリーゴ フェルナンド・オブラドルス サルバドール・バカリッセ |
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