フランツ・リスト フランツ・リストの概要

フランツ・リスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 02:31 UTC 版)

フランツ・リスト
Franz Liszt
晩年のフランツ・リスト(おそらく1870年代以降)
基本情報
出生名 フランツ・リッター・フォン・リスト
: Franz Ritter von Liszt
リスト・フェレンツ
: Liszt Ferencz
別名 ピアノの魔術師[要出典]
生誕 1811年10月22日
オーストリア帝国
ハンガリー王国ドボルヤーン
死没 (1886-07-31) 1886年7月31日(74歳没)
ドイツ帝国
バイエルン王国バイロイト
学歴 ウィーン音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
作曲家
担当楽器 ピアノ
活動期間 1824年 - 1886年
著名な家族 コジマ・ワーグナー(娘)

自身の生誕地(後述)であり、当時属していたハンガリー王国(当時はオーストリア帝国支配下の版図内)を祖国と呼び、ハンガリー人としてのアイデンティティを抱いていたことから、死後も「ハンガリー」の音楽家として認識・記述されることが多い。その一方で生涯ハンガリー語を習得することはなく、両親の血統、母語、音楽家としての活動名義(フランツ・リスト)、最も長い活動地のいずれも「ドイツ[注釈 1]」に属し、当時の中東欧に多数存在したドイツ植民の系統でもある。このような複雑な出自や、ハンガリー音楽を正確に把握していたとは言い難い作品歴から、非音楽大国系の民族運動としての国民楽派に含めることは殆どなく、多くはドイツロマン派の中に位置づけられる。

ピアニストとしては演奏活動のみならず、教育活動においてもピアニズムの発展に貢献をした。また、作曲家としては新ドイツ楽派の旗手、および交響詩の創始者として知られる。ハンス・フォン・ビューローをはじめとする多くの弟子を育成した。


注釈

  1. ^ リスト在世時、1871年以前は主権統一国家としてのドイツは存在しなかった。「ドイツ人」「オーストリア人」を参照。緩やかな国家連合としての「ドイツ人の神聖ローマ帝国ドイツ連邦」は存在したが、ハンガリー王国は同じハプスブルク領でもオーストリアやチェコとは異なりこれに含まれなかった。リストと父親の生地はこの域外(母親および4人の祖父母は域内の出身)である。
  2. ^ 例えば、ヴァイマールでのリストの私邸だったアルテンブルク荘ではしばしばサロンが開かれており、そこではリストはよくピアノを演奏している。
  3. ^ ワーグナーは仕事の都合がつかなかったため『タンホイザー』のヴァイマール初演に立ち会えなかったが、『タンホイザー』のヴァイマール初演は成功で、その後すぐに再演、更に5月にも演奏された。しかし、5月の時には、ワーグナーはドレスデン革命の失敗により、逃亡犯として追われる身になっていた。5月の再演の際、リストがワーグナーに、ヴィートマン博士に発行されたパスポートをパリにいたワーグナー宛に送り身分を偽ってヴァイマールに入国できるように手配したので、ワーグナーはリハーサルに立ち会うことが出来た[16]。しかし、リハーサルまでが限界で、本演に立ち会うことは無理だった。
  4. ^ ヴァイマール郊外のアルテンブルクにリストが構えていた私邸の通称。
  5. ^ ジプシー固有の音楽でもない。そういった音楽はまた別に存在しており、バルトークは民俗音楽研究の中で取材している。
  6. ^ ただしこの論文については、中欧・東欧の音楽史及び民族音楽学を専門とし、バルトークの研究家でもある伊東信宏が自著『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』の中で指摘している[要ページ番号]ように、生前のリストに対する周囲の評価を批判をすることで、その時点での自身との共通性を想起させることが主目的だったという捉え方をされることもある。
  7. ^ モーリス・ラヴェルも1912年に「リストの小品、あるいは全作品についてまわる欠陥こそが、ワーグナーを含めたドイツ、ロシア、フランスのまるで違った個性を持つ音楽家達に大きな影響を与えたのだ」とバルトークと似たような主張をしている。
  8. ^ 『師としてのリスト』では全編にわたり、編集者ヴィルヘルム・イェルガー (Wilhelm Jerger) の姓を「イェーガー」と誤って表記している。

出典

  1. ^ Franz Liszt Hungarian composer Encyclopædia Britannica
  2. ^ ウルリヒ・ミヒェルス編 『図解音楽事典』 角倉一朗日本語版監修、白水社、1989年、447頁。ISBN 978-4-560-03686-0
  3. ^ 福田 2005, p. 7.
  4. ^ a b 福田 2005, p. 8.
  5. ^ 福田 2005, p. 11.
  6. ^ 福田 2005, p. 16-17.
  7. ^ 福田 2005, p. 17.
  8. ^ 福田 2005, p. 18.
  9. ^ a b 福田 2005, p. 14.
  10. ^ 福田 2005, p. 19.
  11. ^ 福田 2005, p. 20.
  12. ^ ヘルム 1996, p. 130.
  13. ^ a b ヘルム 1996, p. 138.
  14. ^ a b ヘルム 1996, p. 131.
  15. ^ ヘルム 1996, p. 180.
  16. ^ ヘルム 1996, p. 181.
  17. ^ ヘルム 1996, p. 183.
  18. ^ ヘルム 1996, p. 132.
  19. ^ a b ヘルム 1996, p. 184.
  20. ^ ヘルム 1996, p. 142.
  21. ^ a b ヘルム 1996, p. 139.
  22. ^ ヘルム 1996, p. 195.
  23. ^ ヘルム 1996, p. 196.
  24. ^ ヘルム 1996, p. 197.
  25. ^ F.Liszt Missa Cholaris, Via Crucis, Hyperion CDA67199, ライナーノーツ
  26. ^ 「大音楽家のなさけ」(『美談教室 3年生』金の星社、1959年刊、p.7-15)
  27. ^ 「大音楽家のなさけ」(『小学校道徳の指導資料 第1集 第4学年』文部省、1964年刊、p.83-89)
  28. ^ 野村胡堂楽聖物語』1987年(原著1941年)https://www.aozora.gr.jp/cards/001670/files/55088_55377.html。"ピアノの巨匠リスト"。 青空文庫
  29. ^ Béla Bartók Rhapsody for piano, Sz. 26, BB 36a (Op. 1) - allmusic.com
  30. ^ Marcel Carrières “Franz Liszt en Provence et en Languedoc en 1844”  (Beziers, 1981) and Alan Walker, Franz Liszt: The virtuoso years, 1811-1847. Cornell University Press, 1987
  31. ^ Alan Walker, Franz Liszt: The Weimar years, 1848-1861. Cornell University Press, 1987
  32. ^ Adrian Williams. Franz Liszt: Selected letters. Oxford University Press. p.572. From a letter to Xavier Boisselot. January 3, 1862.
  33. ^ Klassik Stiftung Weimar, Flügel, Kopie von Paul McNulty
  34. ^ Alan Walker, Franz Liszt: The Weimar years, 1848-1861. Cornell University Press, 1987; www.bechstein.com.
  35. ^ A repülőtér története – az elmúlt 70 év dióhéjban” (ハンガリー語). Budapest Airport. 2022年2月28日閲覧。
  36. ^ (3910) Liszt = 1954 GC = 1974 RP1 = 1977 DK4 = 1977 GF1 = 1979 WX4 = 1984 WD2 = 1988 SF”. MPC. 2021年9月23日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランツ・リスト」の関連用語

フランツ・リストのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランツ・リストのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランツ・リスト (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS