ネーレスハイム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 01:05 UTC 版)
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | バーデン=ヴュルテンベルク州 |
行政管区: | シュトゥットガルト行政管区 |
郡: | オストアルプ郡 |
緯度経度: | 北緯48度45分15秒 東経10度20分04秒 / 北緯48.75417度 東経10.33444度座標: 北緯48度45分15秒 東経10度20分04秒 / 北緯48.75417度 東経10.33444度 |
標高: | 海抜 503 m |
面積: | 118.51 km2 |
人口: | |
人口密度: | 67 人/km2 |
郵便番号: | 73450, 73441 |
市外局番: | 07326, 07362, 07367 |
ナンバープレート: | AA, GD |
自治体コード: |
08 1 36 045 |
行政庁舎の住所: | Hauptstraße 20 73450 Neresheim |
ウェブサイト: | www.neresheim.de |
首長: | トーマス・ヘーフェレ (Thomas Häfele) |
郡内の位置 | |
地図 | |
ネーレスハイム (ドイツ語: Neresheim, ドイツ語発音: [ˈneːrəsha‿im][2]) は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政管区のオストアルプ郡に属す市である。
地理
位置
ネーレスハイムは、アーレンとネルトリンゲンとの間、シュヴェービッシェ・アルプ東部のヘルツフェルトの中心部に位置する。ネーレスハイムやその周辺には数多くの水源があり、ここから発したエーガウ川は約 40 km 先のディリンゲン近郊でドナウ川に注ぐ。
隣接する市町村
本市は、北はボプフィンゲンおよびリースビュルク、東はネルトリンゲン、エーダーハイム、フォルハイム(以上3市町村はバイエルン州ドナウ=リース郡)、南はディシンゲン、ナットハイム、ハイデンハイム・アン・デア・ブレンツ(以上3市町村はハイデンハイム郡、西は郡庁所在地アーレンと境を接している。
市の構成
ネーレスハイム市は、かつて独立した町村であった以下の地区と、これらに付属する小集落、農場、住居群から構成されている: ドルフメルキンゲン、エルヒンゲン、ケージンゲン、ネーレスハイム、オーメンハイム、シュヴァインドルフ[3]。
土地利用
土地利用種別面積 | 農業用地 | 森林 | 住宅地 | 産業用地 | 交通用地 | 水域 | レジャー用地 | その他 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
面積 (km2) | 59.74 | 47.08 | 1.76 | 0.64 | 5.95 | 0.24 | 0.33 | 2.78 |
占有率 | 50.4 % | 39.7 % | 1.5 % | 0.5 % | 5.0 % | 0.2 % | 0.3 % | 2.3 % |
州統計局の2015年現在のデータによる[4]。
歴史
19世紀まで
この地域では古くから入植がなされていたが、ネーレスハイムは1095年の寄進状に初めて記録されており、1350年には「都市」に昇格した。1634年、三十年戦争の「ネーレスハイムの流血の夜」が起こり、ネーレスハイムの人口は 250人にまで減少した。本市は、その後再び復興していった。1796年にフランス軍がネーレスハイムを占領した。パリの凱旋門の銘文には、「1796年8月11日 ネーレスハイムの戦い」とこの街の名が記されている。
ネーレスハイムは4年間バイエルン王国に属した後、1810年にヴュルテンベルク王国領となり、オーバーアムト・ネーレスハイムの主邑として区裁判所や監獄が設けられ、後には病院や上級学校が開設された。オーバーアムトは1938年まで存続したが、この年に新たに創設されたアーレン郡に編入された。
20世紀
1900年、アーレンとディリンゲンとを結び、ネーレスハイムを営業の中心とするヘルツフェルト鉄道の建設が始まった。この鉄道は、狭軌(メーターゲージ)で、旅客輸送の他に、トゥルン・ウント・タクシスの森に囲まれたネーレスハイムからの木材輸送や採石場からの石灰石輸送に利用された。鉄道の営業は1972年に廃止されたが、一部区間は2001年に保存鉄道として営業が再開された。
1945年、農業を主体としていたこの街の人口約 900人の主邑は、それと同じ程度の人数の難民を受け容れなければならなかった。
市町村合併
バーデン=ヴュルテンベルク州の地域再編に伴い、1971年1月1日にシュヴァインドルフとケージンゲンがこの街に合併した。1972年3月1日にドルフメルキンゲンが、同年5月1日にはエルヒンゲン・アウフ・デム・ヘルツフェルトが、1975年1月1日にはオーメンハイムが合併した[5]。
市域の発展
1958年にヘルツフェルトは当時の州政府によって開発地域に指定され(ヘルツフェルト振興プログラム)、ネーレスハイムを中心とする市町村は、自治体の行政措置に大規模な振興策を盛り込んだ。なによりもまずインフラ整備が必要であった。特に水供給手段と汚水処理場を含む下水道施設が早急に整備され、次いで学校やスポーツ施設が新設あるいは改修された。
工業系企業の定着の試みはあまり成功せず、多くは数年後に挫折していった。それにもかかわらず、街の中心から外れたゾール住宅地では活発な建設が行われた。ネーレスハイムは学校があることから、ハイデンハイムやアーレンの工業系企業への通勤者に人気の住宅地となった。
街の中心部、本来のメインストリートは寂れて行き、一部が崩壊した。1980年からやっと、都市建設推進計画に基づく市庁舎の修復、マリエン広場やマルクト通りの再構成、倒壊しかけた建物の取り壊しや修復を含む都市再建が始まった。この再建はまだ完了していないが、中心街はすでに活気を取り戻している。一方、街の入り口の、ヘルツフェルトの中心部にあたる旧WAP社の敷地に小売チェーン店や商店の小さなコロニーが形成された。
- ^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg – Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht am 31. Dezember 2021 (CSV-Datei)
- ^ Max Mangold, ed (2005). Duden, Aussprachewörterbuch (6 ed.). Dudenverl. p. 578. ISBN 978-3-411-04066-7
- ^ Das Land Baden-Württemberg. Amtliche Beschreibung nach Kreisen und Gemeinden. Band IV: Regierungsbezirk Stuttgart, Regionalverbände Franken und Ostwürttemberg. Kohlhammer, Stuttgart 1980, ISBN 3-17-005708-1, S. 763–768.
- ^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg: Fläche seit 1988 nach tatsächlicher Nutzung 2015 Neresheim (Ostalbkreis)(2017年9月28日 閲覧)
- ^ Statistisches Bundesamt (Hrsg.): Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Kohlhammer, Stuttgart 1983, ISBN 3-17-003263-1, S. 445 und 471.
- ^ Statistisches Landesamt Baden-Württemberg: Gemeinderatswahlen 2014 - Stadt Neresheim AA(2017年9月29日 閲覧)
- ^ Neresheim - Stadt & Portait >> Städtepartnerschaft >> Steinach(2017年9月30日 閲覧)
- ^ Neresheim - Stadt & Portait >> Städtepartnerschaft >> Bagnacavallo(2017年9月30日 閲覧)
- ^ Neresheim - Stadt & Portait >> Städtepartnerschaft >> Aix-en-Othe(2017年9月30日 閲覧)
- ^ Werkmeister Gymnasium Neresheim(2017年9月29日 閲覧)
- ^ Fachkrankenhaus SRH Neresheim(2017年9月30日 閲覧)
- 1 ネーレスハイムとは
- 2 ネーレスハイムの概要
- 3 住民
- 4 行政
- 5 人物
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