ジョニー・ウィアー 技術・演技

ジョニー・ウィアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 01:32 UTC 版)

技術・演技

ウィアーの最大の魅力はその表現の美しさにある。スピンは、そのほとんどが最高評価のレベル4を獲得している。ジャンプは3回転アクセルを得意としている。負荷をかけた筋力トレーニングは体重が増えるため行っておらず、専らピラティスを行っている[8]

フィギュアスケート界では非常に珍しい、時計回りのジャンプをする選手である。大半の選手は反時計回りに回転しており、時計回りに回転する選手は稀である。

経歴

2006年世界選手権のウィアー

1994年リレハンメルオリンピックオクサナ・バイウルが演じた「白鳥」に感銘を受け、12歳からスケートを始めた[17]。コーチは当初からプリシラ・ヒル[18]。それ以前は乗馬をしており[17]、ペンシルベニア州のチャンピオンになった事もある。スケートを始めてわずか1年間で3回転トウループと3回転サルコウを習得し[17]、その3年後の2001年世界ジュニア選手権で早くも優勝。翌2001-2002シーズンはグランプリシリーズに出場した。

2002-2003シーズンはロシア杯に出場を予定していたが、病気のため棄権[3]全米選手権はSPで2位に立っていたが、FSの演技中にブレードをリンク側面のボードに引っかけて転倒。レフリーの許可を得て演技をやり直したが再び転倒し、その際に負傷したため棄権することとなった。このことは関係者からは激しい非難を浴びた[17]。地方予選からのスタートとなった翌2003-2004シーズン、全米選手権で初優勝。世界選手権でも5位に食い込む活躍を見せた。続く2004-2005シーズンには国際大会に復帰、グランプリシリーズで2連勝を果たし、再度全米選手権を制した。

2005-2006シーズン、全米選手権で優勝して3連覇を果たし、出場資格を得たトリノオリンピックでは、SPで「白鳥」の曲に乗って完璧な演技を見せ、当時のパーソナルベストの80.00点を得点しエフゲニー・プルシェンコに次ぐ2位につけたが、総合では5位入賞となった。続く世界選手権のFSでは後半の転倒で以前から痛めていた背中を更に痛めてしまったが、立ち上がって最後まで滑りきり観客から温かい拍手を受けた。

2006-2007シーズン、春から夏にかけてチャンピオンズ・オン・アイスのツアーに長期参加していた為、プログラム作成をする時間がとれずツアー仲間で友人のマリナ・アニシナに振り付けを依頼し、従来の繊細で優雅な路線ではなく力強さを表現したプログラムを完成させた。しかし、オリンピック後の疲労が心身ともに溜まっていた為か精彩を欠く不振のシーズンとなる。その経験は、長く師事していたコーチから離れることや自分のスケートスタイルの再確認など、後のシーズンに影響を与えた。

2007-2008シーズン、グランプリシリーズの初戦となった中国杯で優勝、次戦のロシア杯でも安定した演技で優勝を果たした。2連勝で迎えたグランプリファイナルでは古傷の再発と足首の怪我により4位に留まった。全米選手権ではSP1位、FSでは4回転ジャンプも構成に入れての完成度の高い演技で2位、優勝したエヴァン・ライサチェックに次いで2位という結果になった。世界選手権では3位となり、初めて世界選手権のメダルを手にした。なお全米選手権では総得点でウィアーとライサチェックが並ぶという珍事となり、FSの得点の高い方が上位というルールが適用された。

2008-2009シーズンはスケートアメリカで2位。NHK杯でも、風邪でコンディションを崩しながら2位となった[19]グランプリファイナルでは3位。全米選手権は5位に終わり、世界選手権の出場を逃した。

2009-2010シーズンはデヴィッド・ウィルソンに振り付けを依頼。グランプリシリーズ初戦のロステレコム杯ではジャンプの不調が続き4位に終わったが、その後のNHK杯では安定した演技で2位につけた。グランプリファイナルでは更に安定度を高め、SP・FSともにノーミスの演技でパーソナルベストを更新。3位となり、2年連続で銅メダルを獲得した。全米選手権でも3位となり、バンクーバーオリンピック代表に選出された。バンクーバーオリンピックは総合6位に終わった。FSではノーミスの演技を披露し、会場中からスタンディングオベーションを受けた。だが点数が思ったほど伸びなかったため、会場からブーイングが起こった。しかし、ジョニー自身は優しい表情で観客席に向かって「抑えて抑えて」とブーイングを静める仕草をした。エルヴィス・ストイコサーシャ・コーエンは「ウィアーは(5位の)チャンより上であるべきだった」と語っている[20]。世界選手権は欠場した。2010年7月時点で、2010-2011シーズンの競技には参加しない旨を公表した。主な理由として「自分のスケーティングのイメージを再構築するための休養期間が必要」としている。

2012年1月、競技復帰を表明[21]フィンランディア杯で試合に復帰し4位。ロステレコム杯ではSPの後に、膝の負傷により棄権した。また、出場を予定していたエリック・ボンパール杯も出場を取りやめた[22]

2013-2014シーズンも競技会への参加を予定していたものの、代表選考会である全米選手権の予選会へのエントリーをしなかったために、ソチオリンピックへの出場はできない[23]

2013年10月23日、競技生活からの引退を発表した[24]

2018年末、フィギュアスケートを題材としたNetflix製作のドラマ『栄光へのスピン』に出演すると発表された[25]。ドラマは2020年に配信され、ゲイブ役を演じた。

2023年にプロスケーターとしての活動からの引退を表明している。

主な戦績

2008年スケートアメリカのエキシビション

2001-2002シーズン以降

大会/年 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2012-13
冬季オリンピック 5 6
世界選手権 5 4 7 8 3
四大陸選手権 4
全米選手権 5 棄権 1 1 1 3 2 5 3
GPファイナル 棄権 4 3 3
GPロステレコム杯 棄権 2 3 2 1 4 棄権
GPNHK杯 棄権 1 2 2
GPスケートアメリカ 2
GP中国杯 1
GPスケートカナダ 7 7 3
GPエリック杯 4 1
フィンランディア杯 2 4

2000-2001シーズンまで

大会/年 1998-99 1999-00 2000-01
全米選手権 4 J 5 J 6
世界Jr.選手権 1
JGPハルビン 2
JGPサンジェルヴェ 6
JGPピルエッテン 2
JGPチェコスケート 7
JGPSNPバンスカー 1
  • J = ジュニアクラス

詳細

2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2012年11月9日 - 11日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 10
57.47
- 棄権
2012年10月4日 - 7日 2012年フィンランディア杯エスポー 4
69.03
5
132.39
4
201.42
2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年2月12日 - 28日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 6
82.10
6
156.77
6
238.87
2010年1月14日 - 24日 全米フィギュアスケート選手権スポケーン 3
83.51
5
148.58
3
232.09
2009年12月3日 - 6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 4
84.60
4
152.75
3
237.35
2009年11月5日 - 8日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 3
78.35
3
139.35
2
217.70
2009年10月22日 - 25日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 3
72.57
6
125.98
4
198.55
2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年1月18日 - 25日 全米フィギュアスケート選手権クリーブランド 7
70.76
5
133.23
5
203.99
2008年12月10日 - 14日 2008/2009 ISUグランプリファイナル高陽 4
72.50
2
143.00
3
215.50
2008年11月27日 - 30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 2
78.15
2
146.27
2
224.42
2008年10月23日 - 26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカエバレット 2
80.55
2
144.65
2
225.20
2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年3月17日 - 23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 2
80.79
5
141.05
3
221.84
2008年1月20日 - 27日 全米フィギュアスケート選手権セントポール 1
83.40
2
161.37
2
244.77
2007年12月13日 - 16日 2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ 4
74.80
4
141.36
4
216.16
2007年11月22日 - 25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 2
80.15
1
149.81
1
229.96
2007年10月6日 - 7日 日米対抗フィギュアスケート競技大会2007(横浜 1
73.90
- 1
団体
2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年3月19日 - 25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 4
74.26
10
132.71
8
206.97
2007年1月21日 - 28日 全米フィギュアスケート選手権スポケーン 2
78.14
4
135.06
3
213.20
2006年12月14日 - 17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 5
67.60
- 棄権
2006年11月24日 - 26日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 2
75.10
5
121.18
2
196.28
2006年11月2日 - 5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 2
76.28
4
122.42
3
198.70
2006年10月15日 キャンベルカップ(シンシナティ 1
78.61
- 1
団体
2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 4
33.38
5
73.53
8
128.66
7
235.57
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ - 2
80.00
6
136.63
5
216.63
2006年1月7日-15日 全米フィギュアスケート選手権セントルイス - 1
83.28
3
142.06
1
225.34
2005年11月24日-27日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 3
75.15
4
131.64
3
206.79
2005年10月27日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ - 2
70.25
8
107.34
7
177.59
2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 4
32.20
9
70.50
6
133.36
4
236.06
2005年1月9日-16日 全米フィギュアスケート選手権ポートランド - 2 1 1
2004年11月25日-28日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 2
71.25
2
136.74
2
207.99
2004年11月28日-21日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 1
75.90
2
132.20
1
208.10
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 - 1
74.05
1
146.20
1
220.25
2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 7 4 5 5
2004年1月3日-11日 全米フィギュアスケート選手権アトランタ - 1 1 1
2003年10月9日-12日 2003年フィンランディア杯ヘルシンキ - 1 2 2
2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年1月12日-19日 全米フィギュアスケート選手権ダラス - 2 - 棄権
2001-2002 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2002年1月21日 - 27日 2002年四大陸フィギュアスケート選手権全州 3 4 4
2002年1月6日 - 13日 全米フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 4 5 5
2001年11月14日 - 18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ 5 4 4
2001年11月1日 - 4日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダサスカトゥーン 8 7 7
2000-2001 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年2月26日-3月2日 2001年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ソフィア 1 1 1 1
2001年1月14日-21日 全米フィギュアスケート選手権ボストン - 6 6 6
2000年10月12日-15日 ISUジュニアグランプリ ハルビンハルビン - 2 2 2
2000年8月23日-26日 ISUジュニアグランプリ サンジェルヴェ(サン・ジェルヴェ) - 6 7 6
1999-2000 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2000年1月6日 - 13日 全米フィギュアスケート選手権 ジュニアクラス(クリーブランド 1 5 5
1999年11月11日 - 14日 ISUジュニアグランプリ ピルエッテンハーマル 3 2 2
1999年10月6日 - 10日 ISUジュニアグランプリ チェコスケートオストラヴァ 5 11 7
1998-1999 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1999年1月7日 - 14日 全米フィギュアスケート選手権 ジュニアクラス(ソルトレイクシティ 7 3 4
1998年10月29日 - 11月1日 ISUジュニアグランプリ SNPバンスカーバンスカー・ビストリツァ 1 1 1
1997-1998 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1998年1月4日 - 11日 全米フィギュアスケート選手権 ジュニアクラス(フィラデルフィア 2 3 3

  1. ^ 「プロフィール」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.23
  2. ^ a b c 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.101
  3. ^ a b 『COLORS』p.36
  4. ^ https://www.imdb.com/name/nm2096077/bio/
  5. ^ Johnny Weir Skates at Elise Øverland’s Fashion Show on Ice at the StandardNymag,2/13/11
  6. ^ Johnny Weir, Victor Voronov Officially Back Together After Tumultuous Separationハフィントン・ポスト、2014/05/06(2014年3月に一度離婚を表明し、ヴォロノフ姓を抜いたが、5月に復縁した)
  7. ^ 本人HPの表紙に各国ファンクラブサイトが紹介されている
  8. ^ a b Pop Star On Ice official site
  9. ^ BE GOOD JOHNNY WEIR
  10. ^ After an Olympic Roller Coaster Ride of Fame and Defamation, Johnny Weir is Now Ready For Worlds International Figure Skating Magazine, March 2006, 2010年11月1日閲覧
  11. ^ Johnny Weir Models for Heatherette at New York's Fashion Week
  12. ^ http://www.figureskatersonline.com/johnnyweir/home/events/welcome-to-my-world/
  13. ^ Great Musical Moments In Reality TV: Johnny Weir Records "Dirty Love" Single
  14. ^ フィギュアのウィアが同性婚 男性弁護士と『47NEWS』2012年1月4日
  15. ^ [1]ロサンゼルス・タイムズ、2009年9月12日
  16. ^ Johnny Weir on Marriage, Olympics and ControversyNBCサンディエゴ 2012年2月14日
  17. ^ a b c d 『COLORS』p.33
  18. ^ 『COLORS 2007』p.60
  19. ^ 青嶋ひろの「このお客さんたちの前、絶対に最高の演技をしてみせたかった」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、pp.18-21
  20. ^ [2]
  21. ^ JOHNNY WEIR TALKS LADY GAGA, 'CARMEN,' ROAD AHEAD
  22. ^ Injury forces Weir to withdraw from Rostelecom
  23. ^ Johnny Weir will not compete at Sochi Olympics
  24. ^ JOHNNY WEIR, TARA LIPINSKI & TANITH BELBIN TO JOIN NBC OLYMPICS IN SOCHI
  25. ^ JOHNNY WEIR, SARAH WRIGHT OLSEN, WILL KEMP, AND MORE JOIN CAST OF NETFLIX ICE-SKATING DRAMA SERIES SPINNING OUT”. Netflix Media Center. 2018年12月27日閲覧。
  26. ^ [3]
  27. ^ Make no mistake: Weir is serious about winning
  28. ^ Champs Camp: Day 1 Nuggets
  29. ^ テレビ朝日 フィギュア 2009-2010 出場スケーターより。エキシビジョンは2009年10月26日に放送された演技を視聴。
  30. ^ a b c d e f 『男子シングル読本』p.59
  31. ^ 『フィギュアスケートDays vol.8』ダイエックス出版、2009年2月、p.56
  32. ^ 鈴木ふさ子「ジョニー・ウィアー 氷上に描く、鐘つき男の愛」」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.16
  33. ^ a b c d e f g 「プログラムヒストリー」『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.23
  34. ^ 『PASSION 2009 フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.16
  35. ^ 「ラブ・イズ・ウォー」はプログラムにつけられた名称で、使用楽曲はグローバスのアルバム「Epicon」のアレンジ。
  36. ^ 『COLORS 2007』p.57, p.59
  37. ^ 「キング・オブ・チェス」はプログラムにつけられた名称で、使用楽曲は「パラディオ」(作曲:カール・ジェンキンス)。






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