シンガサリ王国
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ヴィシュヌワルダナ王
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ランガウニは即位して、シンガサリ王となり、尊称は、シュリー・ジャヤ・ヴィシュヌワルダナと呼ばれた。すなわちヴシュヌワルダナ王(位1248年 - 1268年)である。ヴシュヌワルダナは、いとこのマヒサ・チャンバカと共同して統治をおこなった。マヒサ・チャンバカには、ナラシンガムルティの尊称が贈られ、「王位を脅かす危険を消滅させる高官」と考えられるラトゥ・アンガバヤという官位に就いた。またヴィシュヌワルダナは、プランタス川の交通を支配し、プランタス川上中流域とマドゥラ海を結ぶ重要な拠点であるチャング・ロルに城塞を築いた。これは、マジャパヒト時代に重要な港のひとつとなった。 ヴィシュヌワルダナは、息子のクルタナガラを1254年に副王というべきユヴァラジャの地位に就けた。研究者によっては、これをクルタナガラの治世の開始と考える者もいる。
1268年、ヴィシュヌワルダナが死去すると、その遺骸は、ワレリ(ウェレリ)に造られたシヴァ神の姿の像の中とブッダの姿をしたジャジャグの寺院に葬られた。ジャジャグの寺院は、マラン市の南東にあるチャンディ・ジャゴである。 アヌーシャナータ王の廟であるチャンディ・キダルとともにシンガサリ時代を代表する寺院建築で、王の姿を写したのは本尊である八臂の不空羂索(ふくうけんじゃく)観音の立像である。この本尊の脇侍には何体かの仏像があったと思われる。
これらの仏像の様式は、北インドの影響を強く受けたものであり、銘文もナーガリー系文字であることから13世紀初頭にゴール朝などのイスラム勢力のベンガル侵入などでインドネシアに避難した仏教僧たちの影響があったものと考えられる。この仏像の様式は、次代のクルタナガラ王の治世にも受け継がれた。
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