エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝) 授与された勲章

エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 15:35 UTC 版)

授与された勲章

ロシア帝国勲章
プロイセン王国勲章
 スウェーデン勲章
ポーランド・リトアニア共和国勲章

系譜

エカチェリーナ2世 父:
クリスティアン・アウグスト (アンハルト=ツェルプスト侯)
祖父:
ヨハン・ルートヴィヒ1世
曽祖父:
ヨハン6世 (アンハルト=ドルンブルク侯)
曽祖母:
ゾフィ―・アウグスタ[1]
祖母:
クリスティーネ・エレノオーレ
曽祖父:
ゲオルク・ヴォルラス・フォン・ツォイッチュ
曽祖母:
クリスティーネ・フォン・ヴァイセンバッハ
母:
ヨハンナ・エリーザベト
祖父:
クリスティアン・アウグスト
曽祖父:
クリスチャン・アルブレクト (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公)[1]
曽祖母:
フレゼリゲ・アメーリエ(デンマーク王女)[2]
祖母:
アルベルティーネ・フリーデリケ
曽祖父:
フリードリヒ7世マグヌス (バーデン=ドゥルラハ辺境伯)
曽祖母:
アウグスタ・マリー[1]

[1]は、共にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公フレゼリク3世の子。

[2]は、デンマーク王フレゼリク3世の子で、兄はデンマーク王クリスチャン5世、妹はスウェーデン王妃ウルリカ・エレオノーラ

イギリスの首相デーヴィッド・キャメロンは子孫の遠縁の一人である。

現代における評価

エカテリーナ2世時代に露土戦争での獲得地に建設された、ウクライナの港湾都市オデーサ(オデッサ)に建てられていたエカテリーナ2世像は、2022年ロシアのウクライナ侵攻に伴う反露感情の高まりを受けて、同年12月28日夜から翌日未明にかけて撤去された[11]。エカテリーナ2世を含めたロシア帝国に思い入れを持ち、ウクライナ侵攻を発動したロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンは同年10月、この像は「ウクライナの過激な民族主義者すら撤去しようとしない」と牽制していた[11]


  1. ^ a b ロシア語版のタイトルは「アンナ・ペトロヴナ(エカチェリーナ2世の娘)」とされており「(ピョートル3世の娘)」ではない。Infoboxの父親欄は公式のピョートル3世となっている。実際にはスタニスワフ・ポニャトフスキ伯爵(後のポーランド国王)との娘だが、ピョートル3世がエカチェリーナから求められて認知した。
  2. ^ グリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフとの息子。
  3. ^ 中野京子『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』光文社、2014年、96頁。ISBN 978-4-334-03811-3 
  4. ^ a b ロシア語版では父親をスタニスワフ・ポニャトフスキ伯爵(後のポーランド国王)かグリゴリー・オルロフ公爵のどちらかだとしている。
  5. ^ a b 英語版では1761年に生まれた、エカチェリーナとオルロフの娘だとされている。
    “They had two illegitimate children, Yelizaveta and Aleksey, who were born in 1761 and 1762"
    「(エカチェリーナとオルロフの間には)1761年と1762年に生まれた2人の違法な子供、エリザヴェータ(Yelizaveta)と(1762年生まれの息子)アレクセイロシア語版(Aleksey)がいました。」
  6. ^ なお、プロイセンとの攻守同盟、教会の国有化政策はエカチェリーナの治世でも続けられた。
  7. ^ しかし、実際にはエカチェリーナ2世は前王朝のリューリク朝トヴェリ大公アレクサンドル・ミハイロヴィチの直系の子孫の一人であり、彼の父親はロシア正教の聖人であり、「全ルーシ(ロシア)の大公」を自称した最初の人物である。故に、彼女はロマノフ朝の血統ではないものの、ロシアのツァーリの皇統の血を引く人物でもあり、ルーシやロシアの高名な歴史的人物の先祖を多く持つエカチェリーナ2世は全くロシアに関わりの無い人物と言う訳では無い。
  8. ^ A・ゲルツェン『ロシヤにおける革命思想の発達について』岩波文庫、1950年、99-100頁。 
  9. ^ かなり信憑性の高い史料であるエカチェリーナとポチョムキンが交わした1162通もの往復書簡(モスクワロシア国立公文書館英語版ロシア語版に所蔵、ソビエト崩壊後の1997年に歴史学者ヴャチェスラフ・ロパーチンロシア語版博士によって『エカチェリーナ2世とG・A・ポチョムキンの個人往復書簡集』(Екатерина II и Г. А. Потемкин. Личная переписка)として公表されたЕкатерина Вторая и Г. А. Потемкин «Личная переписка 1769-1791» - エカチェリーナとポチョムキンが交わした1162通もの往復書簡の全文を掲載。(PDF版))からもそういう事実があった可能性が窺えるが、今も研究が続いている。
  10. ^ 若宮丸漂流民の概略”(石巻若宮丸漂流民の会)2021年1月12日閲覧
  11. ^ a b エカテリーナ2世像撤去 帝政ロシア皇帝 オデーサ当局、露に反感」『読売新聞』朝刊2022年12月30日(国際面)2023年1月18日閲覧





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