ウルフ・キルステン ウルフ・キルステンの概要

ウルフ・キルステン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 01:27 UTC 版)

ウルフ・キルステン
2019年のキルステン
名前
愛称 Schwatte[1]
ラテン文字 Ulf Kirsten
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1965-12-04) 1965年12月4日(57歳)
出身地 リーザ
身長 175cm[2]
体重 76kg[2]
選手情報
ポジション FW
ユース
1972-1978 BSGシュタール・リーザドイツ語版
1978-1979 SCリーザ=レーダーアウドイツ語版
1979-1983 ディナモ・ドレスデン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1990 ディナモ・ドレスデン 154 (57)
1990-2003 バイエル・レバークーゼン 350 (182)
代表歴
東ドイツ U-21 10 (4)
1985-1990 東ドイツ 49 (14)
1990-2000 ドイツ 51 (21)
監督歴
2003-2005 バイエル・レバークーゼン(アシスタント)
2005-2011 バイエル・レバークーゼンII
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
ディナモ・ドレスデン在籍時のキルステン(右側)

経歴

クラブ

キルステンは故郷のBSGシュタール・リーザドイツ語版SCリーザ=レーダーアウドイツ語版を経て、1979年にディナモ・ドレスデンの下部組織に入団[6]1983年にトップチームに昇格し、同年8月13日に行われたBSGヒェミー・ライプツィヒ戦でデビューすると[6][8]、ドレスデンのレギュラーに定着し1990年までにリーグ戦154試合で57得点、ヨーロッパのカップ戦においても21試合で8得点を記録した[6]。また、2度のDDRオーバーリーガ優勝(1988-89シーズン、1989-90シーズン)と3度のFDGBポカール英語版優勝(1983-84シーズン、1984-85シーズン、1989-90シーズン)に貢献し、1990年には年間最優秀選手賞ドイツ語版を受賞した[6]

1990年、イタリアのカリアリと仮契約を結んでいたが、これを破棄し[9]、7月にブンデスリーガ1部のバイエル・レバークーゼンに移籍[10]。1990-91シーズン開幕戦のバイエルン・ミュンヘン戦でデビューすると、この試合で初得点を決めレバークーゼンのサポーターに認められた[1]。レバークーゼンでは2003年までにリーグ戦350試合に出場し182得点、ヨーロッパのカップ戦においても54試合に出場し32得点を記録した[6]。また、1992-93シーズンのDFBポカール決勝のヘルタ・ベルリン・アマチュア戦では決勝点を決めてタイトル獲得に貢献[1]UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02ではミヒャエル・バラックらと共に準優勝に貢献した[6][11]。個人では1992-93シーズンにリーグ戦で20得点、1996-97シーズンと1997-98シーズンにはそれぞれ22得点をあげリーグ得点王となった[2][6]

その後、2002-03シーズン限りで現役を引退した[1]

代表

東ドイツ代表としては1985年5月8日に行われたデンマーク代表との国際親善試合でデビュー[7]1986 FIFAワールドカップ・予選UEFA欧州選手権1988予選1990 FIFAワールドカップ・予選に出場し、1990年5月13日に行われたブラジル代表との国際親善試合を最後に代表から退くまで国際Aマッチ49試合に出場し14得点を記録した[7]

ドイツ代表としては1992年10月14日に行われたメキシコ代表との国際親善試合でデビューした[7]。当時の代表監督・ベルティ・フォクツユルゲン・クリンスマンのパートナーを務めることができる選手を探していたがキルステンはアンドレアス・トームシュテファン・クンツらと共に1ランク下の選手と見做されていた[12]1994年アメリカ合衆国で行われた1994 FIFAワールドカップでは代表メンバーに選ばれたが出場機会はなかった[7]

1996年UEFA EURO '96では代表メンバーから落選したが、1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では好調なプレーを維持すると[13]1998年フランスで開催された本大会でも代表入りを果たし準々決勝のクロアチア代表を含む4試合に出場した[7]。フォクツの後任としてエーリッヒ・リベックが監督に就任した後も代表に招集され、2000年オランダベルギーで共同開催されたUEFA EURO 2000では2試合に出場したが、同年6月20日に行われたポルトガル代表戦を最後に代表から退いた[7]

ドイツ代表としての通算成績は国際Aマッチ51試合出場21得点で[7]、東ドイツ代表時代を含めた通算成績は国際Aマッチ100試合出場34得点となっている[2]

引退後

2003年限りで現役引退をすると指導者に転じ、古巣のバイエル・レバークーゼンのアシスタントコーチとして2年間の経験を積んだ後、2005年に下部組織のバイエル・レバークーゼンIIの監督に就任した[1]。また、2003年11月16日に行われた引退試合に際してウルフ・キルステン財団を設立し、ドレスデン周辺地域における若者に対するスポーツの推進活動を行っている[6]

2011年にレバークーゼンIIの監督を退任し、2012年からはスポーツ代理店に勤務している[14]

人物

バイエルン・ミュンヘンエウベル、元VfLボーフムパウル・フライアーと共にブンデスリーガの史上最速得点記録(11秒)の持ち主だった[15]。この記録は2002年3月30日に行われたバイエル・レバークーゼン1.FCカイザースラウテルン戦において打立てたものだったが[16][17]2014年9月5日に行われたレバークーゼン対ボルシア・ドルトムント戦においてレバークーゼン所属のカリム・ベララビ(9秒)によって塗り替えられた[18]

息子のベンヤミン・キルステンドイツ語版も元サッカー選手でありゴールキーパーとして、父親の古巣のディナモ・ドレスデンやオランダのNECナイメヘンなどに在籍した[19]

東西ドイツ統一後、ドイツ民主共和国の諜報機関・シュタージ非公式協力者であったことを認めている[20]。なお、キルステンの所属していたディナモ・ドレスデンには1978年から1989年の間に18人から72人の非公式協力者が登録されていた[21]


注釈

  1. ^ ドイツ語発音: [ˈkɪrstən][4][5]。インターネット文献の一部では「キルシュテン」とする表記もみられる。

出典

  1. ^ a b c d e Ulf Kirsten”. Bayer 04 Leverkusen Fussball GmbH. 2016年9月13日閲覧。
  2. ^ a b c d Ulf Kirsten Personenprofil”. Deutscher Fußball-Bund. 2016年9月13日閲覧。
  3. ^ 『ワールドカップUSA'94展望号』(日本スポーツ企画出版社、1994年、63頁)、『World Cup France 98 展望&ガイド』(日本スポーツ企画出版社、1998年、66頁)、『EURO 2000 展望&ガイド』(ベースボール・マガジン社、2000年、17頁)、『DREAM ELEVEN Vol.1 ドイツ代表特集』(日本文化出版、2006年、98-100頁)、『ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡』(バジリコ、2005年、378頁)
  4. ^ 国松孝二ほか (2000). "Kirsten". 独和大辞典 (2 ed.). 小学館. ISBN 4095150025. 全国書誌番号:98052526, NCID BA33206388 |access-date=を指定する場合、|url=も指定してください。 (説明)
  5. ^ Duden - Das Aussprachewörterbuch
  6. ^ a b c d e f g h i Dynamo Dresden gratuliert Ulf Kirsten”. Dynamo Dresden.de. 2016年9月13日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j Ulf Kirsten - International Appearances”. rsssf.com. 2016年9月13日閲覧。
  8. ^ East Germany 1983/84”. rsssf.com. 2016年9月13日閲覧。
  9. ^ Daniel Fonseca, 'El Tigre': l'esplosione con il Cagliari, la 'manita' col Napoli, il tandem con Balbo alla Roma, trofei e infortuni alla Juventus” (イタリア語). GOAL (2022年9月13日). 2023年7月25日閲覧。
  10. ^ Ulf Kirsten - Karriere beendet”. kicker.de. 2016年9月13日閲覧。
  11. ^ Madrid win ninth European crown”. UEFA.com. 2002年5月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月13日閲覧。
  12. ^ 『ワールドカップUSA94展望号』 週刊サッカーダイジェスト1994年5月24日号増刊、日本スポーツ企画出版社、63頁。 
  13. ^ 『WORLD CUP FRANCE 98展望&ガイド』 ワールドサッカーダイジェスト1998年6月号増刊、日本スポーツ企画出版社、165頁。 
  14. ^ Ulf Kirsten jobbt in Asien”. welt.de (2012年9月11日). 2016年9月13日閲覧。
  15. ^ 【ブンデスリーガ】最速ゴール記録のベララビが8月の月間MVPに”. サッカーダイジェストweb (2014年9月5日). 2016年9月13日閲覧。
  16. ^ Spielbericht 1. FC Kaiserslautern - Bayer Leverkusen”. Fussballdaten.de. 2016年9月14日閲覧。
  17. ^ Die schnellsten Tore der Bundesliga-Geschichte”. sport1.de (2015年8月23日). 2016年9月14日閲覧。
  18. ^ ドルトムント、シーズン開幕後わずか9秒で失点する(動画あり)”. Qoly.jp (2014年8月24日). 2016年9月13日閲覧。
  19. ^ Benjamin Kirsten spricht bei SPORT1 über sein Aus in Nijmegen”. sport1.de (2015年12月9日). 2016年9月13日閲覧。
  20. ^ Vorwürfe gegen deutschen Nationalspieler / DFB: Stehen voll hinter dem Spieler Erhielt Ulf Kirsten Prämien von der Stasi?”. Berliner Zeitung (1994年6月3日). 2016年9月14日閲覧。
  21. ^ Mielke, Macht und Meisterschaft”. Hamburger Abendblatt (2001年7月31日). 2016年9月14日閲覧。
  22. ^ Albania to Play World Cup Matches in Granada”. FIFA.com (1997年3月7日). 2016年9月13日閲覧。


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