VIA鉄道による引き継ぎと1回目の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 16:44 UTC 版)
「スーパー・コンチネンタル (列車)」の記事における「VIA鉄道による引き継ぎと1回目の廃止」の解説
1978年4月1日に、新しく設立された国営企業であるVIA鉄道が公式にカナディアン・ナショナル鉄道の旅客列車運行を引き継いだ。VIA鉄道は1978年10月29日にはカナダ太平洋鉄道の旅客列車の運行も引き継ぎ、その運行する大陸横断列車が「カナディアン」と「スーパー・コンチネンタル」の2本になった。VIA鉄道はこれらの列車の再編を行い、「カナディアン」がトロント - バンクーバー間の、「スーパー・コンチネンタル」がモントリオール - バンクーバー間の列車となった。ウィニペグにおいて双方の列車の間で寝台車の繋ぎ替えが行われた。「カナディアン」がVIA鉄道の最上級大陸横断列車に位置付けられ、「スーパー・コンチネンタル」は2線級とされた。にもかかわらず、目先の効くマーケティングやガソリン価格の高騰、インフレーションの進行などの結果、1980年代初頭には旅客数は回復した。しかし1981年のピエール・トルドー政権の予算では、VIA鉄道の列車運行距離を20パーセント削減することになった。「スーパー・コンチネンタル」は最初に廃止となる列車となった。 旅客列車の廃止は政治的に不人気であることが示され、その後の1984年の選挙でカナダ進歩保守党が勝利しブライアン・マルルーニー政権となって、1985年6月1日に運行が再開された。しかしバンクーバーからエドモントン経由ウィニペグまでの短縮された運行で、「コンチネンタル」(大陸の)という名前に似つかわしくないものとなった。トロントやモントリオールからサドバリーまでの区間は廃止となり、サドバリー近郊のケープリオール(英語版)からウィニペグまでの区間は1週間に3本の無名の接続列車となった。この期間には、「スーパー・コンチネンタル」には新型のEMD F40PH型ディーゼル機関車(英語版)が投入された。 1986年2月8日、ヒューマンエラーにより東行き「スーパー・コンチネンタル」がカナディアン・ナショナル鉄道の貨物列車とアルバータ州ヒントン(英語版)近郊のデールハーストで衝突事故を起こした。23人が亡くなり、現代のカナダの鉄道において最悪の事故となった。 詳細は「ヒントン列車衝突事故」を参照
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