U-20日本代表監督・日本代表コーチ
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「大熊清」の記事における「U-20日本代表監督・日本代表コーチ」の解説
2002年よりFC東京強化部長代理を務め、同年3月にU-19日本代表監督の田嶋に請われて日本サッカー協会(JFA)技術委員に就任。しばらくは直接の指導をしない立場としてサッカーに携わろうと考えていたところ、同年8月に田嶋がJFA技術委員長に就き、U-19代表監督が空位となったことから、大熊が同監督に就任。準備期間は僅かだったが FC東京同様、選手にハードワークを厳しく要求し、10月にカタールで開催されたAFCユース選手権で準優勝。さらに翌2003年11月から12月にかけてUAEで開催されたFIFAワールドユース選手権ではU-20日本代表を指揮し、走り負けないサッカーの実践とスーパーサブ・坂田大輔らの活躍によって ベスト8に進出した。この年にはU-18日本代表監督も兼務し、2大会連続でU-20世代を率いることになった。2004年9月から10月にマレーシアで開催されたAFCユース選手権では3位、2005年6月にオランダで開催されたワールドユース選手権ではモロッコに敗れてベスト16。この大会をもって監督を退任し(JFA技術委員は継続)、FC東京強化部長代理に復帰した。 2006年7月にイビチャ・オシム監督の下でサッカー日本代表コーチに就任。オシムの後任である岡田武史監督の下でも引き続きコーチを務め、2010年に南アフリカで開催されたFIFA ワールドカップ後に退任した。
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