TNA〜近年
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2001年のWCW崩壊後はダスティ・ローデスのTCWなどインディー団体への参加を経て、2003年よりTNAに登場。当初はベビーフェイスの立場だったが、2005年にジェフ・ジャレットと結託してヒールに転向。タイトルマッチ管理委員会のエグゼクティブ・プロデューサーとしてレイヴェンと抗争し、2006年7月16日開催の "TNA Victory Road" では髪切りマッチに敗れて丸坊主にされた。 2006年11月にTNAを離脱してからは、AWAスーパースターズ・オブ・レスリングなど各地のインディー団体に参加。2008年2月5日には、田中将斗の王座剥奪で空位になっていたAWAスーパースターズ世界ヘビー級王者に認定された。2009年からは、フロリダ州ラルゴのFIPにてエグゼクティブ・ディレクターを担当。2010年3月にはカナダ・マニトバ州ウィニペグのWFXに登場し、ジェシー・ゴダーズと組んでブッシュワッカー・ルーク&ユージン・ディンズモアと対戦した。 WWFを離れて以来、師匠ブルーノ・サンマルチノのキャッチフレーズ「リヴィング・レジェンド(Living Legend)」を自らのニックネームに冠している。彼はサンマルチノがビンス・マクマホンと決別する以前の1980年代初頭からWWEとは絶縁状態となり、一貫して反WWE(反ビンス・マクマホン)の姿勢を取り続けていたが、2013年にサンマルチノがWWE殿堂に迎えられた際には式典に姿を見せ、NXTにも出演。2015年にはズビスコ自身も殿堂入りを果たし、式典ではブルーノ・サンマルチノがインダクターを務めた。
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