RATOの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 07:57 UTC 版)
詳細は「JATO」を参照 1937年からヴァルター HWK 109-500がAr234爆撃機やMe321「ギガント」輸送グライダーの離陸時に補助推進器として使用され、使用後はパラシュートで回収された。硝酸と炭化水素燃料を推進剤とするBMW 109-718の推力は1,000 kg (2,200 lb) だった。第二次世界大戦後、イギリスでドイツの技術を元にブリストル・シドレー BS.605、ネイピア スコーピオン、デ・ハビランド スプライトが開発されたものの、1957年度国防白書の影響でミサイル万能論が優勢になり、有人戦闘機の開発計画は縮小されたため、どれも試験的な運用に留まった。
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