ラリー・グラハム
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| ラリー・グラハム Larry Graham |
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(2013年)
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| 基本情報 | |
| 生誕 | 1946年8月14日(79歳) |
| ジャンル | ファンク、ソウルミュージック |
| 職業 | ミュージシャン、ベーシスト、歌手 |
| 活動期間 | 1968年 - |
| レーベル | エピック・レコード、ワーナー・レコード、NPG、ライノ・エンタテインメント |
| 公式サイト | larrygraham.com |
ラリー・グラハム(Larry Graham、1946年8月14日[1] - )は、アメリカのミュージシャン、ベーシスト、歌手。1968年から1972年までスライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシスト兼ボーカリストとして活動し、同時期にスラップ奏法を開発。1974年からグラハム・セントラル・ステーションを主宰し、1979年の解散後はソロミュージシャンとして活動した。1993年にグラハム・セントラル・ステーションを再結成し、断続的に楽曲制作やツアーを行っている。ラッパーのドレイクは甥にあたる[2]。
来歴
テキサス州ボーモントで生まれ、カリフォルニア州オークランドで育つ[1]。10代の頃にはベース、ギター、ハーモニカ、ドラムを嗜み、15歳の頃に母のバンド「デル・グラハム・トリオ」に参加する[1]。大学在学中にジョン・リー・フッカー、ジャッキー・ウィルソン、ジミー・リード、ドリフターズといったアーティストのバック・ミュージシャンを務め、1968年にスライ&ザ・ファミリー・ストーンに加入[1]。同グループでは『スタンド!』や『暴動(There's a Riot Goin' On)』の制作に参加し、「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」や「エブリバディ・イズ・ア・スター」などの大ヒット・シングルを世に送り出すことに貢献した[1][3]。また、この頃に開発したサンピング・ベース(スラップ奏法)が、後生のベーシストに多大な影響を与えた[1][3]。
1972年後半にスライ&ザ・ファミリー・ストーンを脱退し、プロデュースを引き受ける予定であったバンドに自ら加入[1]。バンド名を「グラハム・セントラル・ステーション」とし、1974年にセルフタイトル・アルバムでデビュー[1]。同年後半に2作目のアルバム『魂の解放(Release Yourself)』、1975年に3作目のアルバム『ダイナマイト・ミュージック(Ain't No 'bout-A-Doubt It)』、1976年に4作目のアルバム『ミラー』、1977年に5作目のアルバム『ダンス・ダンス・ダンス(Now Do U Wanta Dance)』、1978年に6作目のアルバム『いかしたファンキー・ラジオ(My Radio Sure Sounds Good to Me)』を発表[1]。1979年に発表した7作目のアルバム『スター・ウォーク』を最後にグラハム・セントラル・ステーションを解散[1]。
1980年にアルバム『バラードの世界(One in a Million You)』でソロデビュー[1]。ファンクからソウルフルなバラードへと音楽性を移行し、タイトル曲はBillboard Hot 100で9位を記録した[1]。1981年に2作目のアルバム『ジャスト・ビー・マイ・レディ』、1982年に3作目のアルバム『スナー・オア・レイター』を発表[1]。
1983年に発表した4作目のアルバム『ヴィクトリー』で売上が低迷し、1985年に発売した5作目のアルバム『ファイアード・アップ』は日本のみでの発売となった[1]。以降、数年間は表舞台からは遠ざかり、主にソングライターやサイドマンとして活動[1]。1987年にはアレサ・フランクリンとのデュエット曲「If You Need My Love Tonight」に参加した[1]。
1990年代初頭に9人編成のバンド「サイケデリック・ソウル」を率いてエディ・マーフィやザ・クルセイダーズのツアーに同行[1]。スライ&ザ・ファミリー・ストーンがロックの殿堂入りとなった1993年にグラハム・セントラル・ステーションを再結成し、かつてのファミリー・ストーンの仲間であるシンシア・ロビンソン(トランペット)とジェリー・マルティーニ(サックス)をバンドに迎え入れた[1]。
プリンスからの熱心な支持、敬意を受け、グラハム・セントラル・ステーションは1997年のプリンスの長期ツアーにレギュラー・サポート・アクトとして同行[1]。同年に日本限定アルバム『By Popular Demand』を発売した[1]。1998年にはプリンスのベーシストを務め、プリンスとのセッションから生まれたアルバム『GCS 2000』をグラハム・セントラル・ステーション名義で発売した[1]。
以降、断続的に楽曲制作やツアーを行い、2012年にグラハム・セントラル・ステーションのアルバム『レイズ・アップ』を発売[1]。
使用機材
2010年代にMOONのジャズベースタイプを使用。特別仕様としてワイヤレスシステムとマイクロフォン用のトランスミッターが搭載されている。4弦モデルと5弦モデルが存在し、それぞれ限定で発売されていた。
評価
2020年にローリング・ストーン誌が発表した「史上最高のベーシスト50選」で第7位に選ばれている[4]。
ディスコグラフィ
アルバム
- バラードの世界 - One in a Million You (1980)
- ジャスト・ビー・マイ・レディ - Just Be My Lady (1981)
- スナー・オア・レイター - Sooner or Later (1982)
- ヴィクトリー - Victory (1983)
- ファイアード・アップ - Fired Up (1985)
シングル
- One in a Million You (1980)
- When We Get Married (1981)
- Guess Who (1981)
- Just Be My Lady (1981)
- Sooner or Later (1982)
- Don't Stop When You're Hot (1982)
- I Never Forget Your Eyes (1983)
参加作品
- ENDLICHERI☆ENDLICHERI - 『Neo Africa Rainbow Ax』 M01「ENDLICHERI☆ENDLICHERI 2」(2007)[5]
出典
注釈
出典
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 “Larry Graham — Biography, Discography, Albums & Expert Reviews” (英語). AllMusic. 2026年8月6日閲覧。
- ↑ “PARTYNEXTDOOR×ドレイクのコラボ作を徹底解説 ラップ・ビーフからの離脱、セクシーなR&Bと屈折した感情”. Rolling Stone Japan (2025年3月5日). 2026年8月6日閲覧。
- 1 2 “Bio”. larrygraham.com. 2026年8月6日閲覧。
- ↑ “The 50 Greatest Bassists of All Time” (英語). rollingstone.com (2020年7月1日). 2021年12月27日閲覧。
- ↑ “ENDLICHERI☆ENDLICHERI / Neo Africa Rainbow Ax - CDJournal.com”. 2026年8月6日閲覧。
固有名詞の分類
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