ルマン・LM03Cとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルマン・LM03Cの意味・解説 

ルマン・LM03C

(LM・03C/日産 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 03:21 UTC 版)

1984年8月26日、鈴鹿1000kmレース決勝を走るニッサンフェアレディZCコカコーラキヤノン。(ドライバー:和田孝夫)

ルマン・LM03Cは、1983年全日本耐久選手権(後のJSPC)、および富士ロングディスタンスシリーズ(富士LD)参戦用にルマンガレージ(現株式会社ルマン)が開発したグループCカー

概要

エンジンは日産の2.1L 直列4気筒ターボ LZ20B型を搭載。スカイラインシルエットフォーミュラ仕様をグループC規定に改造したスカイラインターボC(フロントエンジン)を除けば、日産エンジンを搭載する初のグループCカーである。シャシーの設計はルマン商会の望月一男、サスペンションの設計は同社の望月広光。※兄弟・親戚ではない。

ガレージルマンとしても初のグループCカーである。名称が「03」なのは、F2・GC兼用シャシー・サンダーLM39、スカイラインターボCに次ぐ同社3代目のレーシングマシンと言うことから。

1983年、全日本耐久選手権がスタートし、また前年から始まったWEC-JAPANにも参戦するため、日産はスーパーシルエットに同社の車両で参戦していたホシノレーシングハセミモータースポーツ、セントラル20にそれぞれエンジンと資金を提供する形で、グループCレースへ参入をスタートする。3チームは独自の手法で耐久レースへの参入することになる。ホシノレーシングはマーチ・エンジニアリング社製のプロトタイプレーシングカー83Gを購入、ハセミモータスポーツは前年キャラミ9時間に参戦したスカイラインのシルエット仕様をグループC規定に改造、そしてセントラル20は国内コンストラクターのガレージルマン製のシャシーを導入することになる。空力デザインにおいては日産も協力し、同社の1/5風洞も使用された。

デビューレースは1983年富士1000km。ドライバーは柳田春人/和田孝夫で、セントラル20より赤いコカコーラカラーにカラーリングされエントリー。2戦目となる鈴鹿1000km前のテストで全損のクラッシュ。2号車でWEC-JAPANに出場するも、給油規定違反で失格となる。 翌1984年は、ノンタイトルの菅生スプリントレースで初優勝。富士500kmでは日産エンジン搭載Cカーとして初めてとなる3位表彰台を獲得した。

なお、まったくの純粋なレーシングマシンながら、「日産フェアレディZC・コカコーラ」の名称でエントリーをしていた。フェアレディのイメージにするためにテールライトはZ31型フェアレディZのものを使用していた。

関連項目





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルマン・LM03C」の関連用語

ルマン・LM03Cのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルマン・LM03Cのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルマン・LM03C (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS