J & Pシードマイヤー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 22:18 UTC 版)
「シードマイヤー」の記事における「J & Pシードマイヤー」の解説
ヨハン・ロレンツ・シードマイヤーは若い2人の息子ユリウスとパウルをパリへ送った。パリで彼らはハーモニウム製造を学び、またその数年後にチェレスタ(の原型)を発明するヴィクトル・ミュステルに出会った。シュトゥットガルトに戻った後、彼らは1853年に「J & Pシードマイヤー」社を設立し、すぐにピアノと後にはチェレスタの製造を開始した。彼らはSchiedmayer-Scheola(オルガンとハーモニウムとチェレスタが混った楽器)やいくつかの機械式自動演奏楽器のような珍しい楽器も製造した。 この会社は「シードマイヤー&ゾーネ」社の近くに位置していた。会社は後に名前を「シードマイヤー・ピアノ工房(Schiedmayer, Pianofortefabrik)」に改名した。 1969年、「シードマイヤー&ゾーネ」社の所有者ゲオルク・シードマイヤーがを「シードマイヤー・ピアノ工房」(元の「J & Pシードマイヤー」)を当時の所有者のマックスおよびハンス・シードマイヤーから買収した。ピアノ生産は1980年に停止し、会社はチェレスタとグロッケンシュピールの製造のみに特化した。1992年、ゲオルク・シードマイヤーの死に際して、妻のエリアンヌ・シードマイヤーが「シードマイヤー&ゾーネGmbH & Co. KG」と「シードマイヤー・ピアノ工房」の2つの会社を相続した。2008年、シードマイヤー・ピアノフォルテ工房は商業登記簿(英語版)上で公式に清算された。
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