I. M. Singer & Co
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:39 UTC 版)
「アイザック・メリット・シンガー」の記事における「I. M. Singer & Co」の解説
1856年、互いに相手を特許権侵害で訴えあっていた5社(Grover, Baker, Singer, Wheeler, Wilson)がオールバニに一堂に会し、それら訴訟をどうするかを話し合った。GrooverとBakerの社長で法律家でもあるオーランド・B・ポッターは、訴えあうことをやめて特許をプールしようと提案した。これが世界初のパテントプールであり、特許権に関する法的な争いを避け、複雑な機械を製造可能にする方法となった。彼らはミシン連合を作ることに合意したが、エリアス・ハウはこの連合の持つ特許よりも優位にある特許を保持しており、このままではハウにロイヤリティを支払わなければならないという問題が残っていた。そこで条件を調整し、ハウもこの連合に参加することになった。 ミシンの大量生産が始まり、I. M. Singer & Co は1856年には2,564台を製造、1860年にはニューヨーク市内に新たな工場を構え13,000台を製造した。ミシンは主に仕立て屋が使う産業機械として販売されていたが、家庭用の小型ミシンも販売されるようになっていった。シンガーはヨーロッパにも進出し、グラスゴー近郊の Clydebank にも工場を建設した。アメリカを本拠地とする多国籍企業となり、他にパリやリオデジャネイロにも支社を設けた。
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