HVDの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/22 05:51 UTC 版)
しかし、アイディアが商品化されない事も多く、大容量ディスクの開発を社内で提案したが、言下に断られた事をきっかけに、独立を決意。1996年ソニー退社。1998年、1テラバイトの光ディスクの基本特許を出願。1999年、豊橋市に株式会社オプトウエアを設立(後に本社を横浜市に移転)。同社は大容量光ディスク、ホログラフィック・バーサタイル・ディスク(HVD)の開発を行う開発特化型のベンチャーで、堀米自らドイツのメーカーのコンサルタントを行ったり、内外の電機大手や、ベンチャーキャピタルなどからの出資を引き受けて実験や研究を行っていた。 HVDは技術的にはほぼ完成し、国際標準化団体、Ecmaインターナショナルにおいて標準化を実現するなど、製品化に向けた動きが進んでいたが、資金調達につまづき、頓挫。その後、オプトウエアは新オプトウエアと名前を変え、2008年3月、東京通信機工業の子会社となる。同年7月6日に放送されたTBSのがっちりマンデー!!に堀米が出演し、HVDを紹介。
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