FLA時代
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「オレステス・デストラーデ」の記事における「FLA時代」の解説
地元マイアミ出身としてファンから歓迎され、同じくNPBから復帰して活躍したセシル・フィルダーのような働きを期待され、1993年の開幕戦では4番・一塁手を務めている。オールスターゲームまでの成績は打率.250、7本塁打、43打点だった が、6月にゲイリー・シェフィールドが移籍してきてマークが分散したこともあり、夏場に復調してシーズン通算ではチームトップの20本塁打、87打点となった。一方、同年は一塁手としてナ・リーグ最多の19失策を記録している。 1994年はリーグの一塁手最低の打率.208と極度の不振に陥り、5月22日の対カージナルス戦で大乱闘を引き起こした後、5月24日にウェイバー公示にかけられている。マーリンズではキューバ人コミュニティなど地元から大きな期待を受けて、プレッシャーを感じていたという。ロッド・ブリューワの不振もあって任意引退選手となっていた西武への復帰も予想されたが、娘の病気などもあって同年中はマイナーでもプレーせず引退を続けた。同年10月の日本シリーズ期間中に西武オーナーの堤義明が再契約の意向を表明し、12月15日に年俸2億円(推定)で入団契約を結んでいる。
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