田原総一朗
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田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役[3]。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与[4]、政策委員[5]。公益財団法人日印協会顧問[6]、一般社団法人外国人雇用協議会顧問[7]、NPO法人万年野党会長[8]。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。
注釈
- ^ 早稲田大学第二文学部日本文学科(夜学)に在籍しほぼ通わず中退。
- ^ カメラマン助手
- ^ 1964-1977.1、一般教養部
→報道部
→制作局でディレクター。 - ^ 著書『青春この狂気するもの』に、この「確信犯的」な手法が書かれており、その本を読んで衝撃をうけた、原一男に手法が引き継がれた。
- ^ 『七人の刑事』に何度か出演し、三島由紀夫の『黒蜥蜴』でもいい役をもらった、若手有望俳優だった。
- ^ 原一男によれば腕の切断手術シーンは田原は撮りたかったが、取材拒否されて撮影できなかった。
- ^ 高橋は「余命半年」と言われたが、実際は1年半生きた。
- ^ 当時の東京12チャンネルには「金曜スペシャル」のような過激な番組がゴールデンタイムに放送されていた。
- ^ 同映画のADが、後に『ゆきゆきて、神軍』の監督となる原一男であったとよく誤解されるが、実際は原は助監督を熱望したものの叶えられなかった。
出典
- ^ 367日誕生日大事典 - 田原 総一朗 (たはら そういちろう). (日外アソシエーツ) コトバンク. 2019年5月16日閲覧。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus - 田原総一朗 たはら-そういちろう(講談社)コトバンク. 2019年5月16日閲覧。
- ^ ドリームインキュベータ取締役紹介[1][リンク切れ]
- ^ “評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ “委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ “日印協会役員等一覧”. 公益財団法人日印協会. 2014年4月4日閲覧。
- ^ 外国人雇用協議会について ※法務省の外郭団体ではない。
- ^ NPO法人万年野党HP 万年野党とは
- ^ CD『古賀さと子 ベストコレクション』別冊歌詞集田原総一朗解説、2014
- ^ 『僕はこうやってきた』pp.147-148
- ^ 山下洋輔『風雲ジャズ帖』所収のエッセイ「真相『今も時だ』
- ^ a b 原一男との対談からのエピソード。
- ^ 田原総一朗、桃井かおりに「セックスを教えてくれ!」と言われた仰天話を披露 - シネマトゥデイ(2010年8月27日版/2016年12月17日閲覧)
- ^ 原一男による尾中洋一インタビュー1993年
- ^ 『食人族』発売中止騒動で思い出す加納典明の衝撃エピソード|ほぼ週刊吉田豪
- ^ 『僕はこうやってきた』pp.125-127
- ^ 原一男との対談。
- ^ “選挙後最大の注目は安倍派の後任会長 安倍さん以外では難しく下手をすると分裂も/田原総一朗氏”. 日刊スポーツ (2022年7月11日). 2022年7月11日閲覧。
- ^ [http:// /tahara/ 田原総一朗のタブーに挑戦!] ポッドキャストサイト
- ^ 辻元清美 政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京
- ^ “AKB48、ぱるるセンター「ハイテンション」MVに田原総一朗ら豪華ゲスト”. 音楽ナタリー. (2016年10月25日) 2016年10月25日閲覧。
- ^ a b 田原総一朗 (2011年5月6日). “2011.05.06放送 「なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか」”. 田原総一朗のタブーに挑戦!. JAPAN FM NETWORK. 2011年6月30日閲覧。
- ^ 竹田恒泰『古事記完全講義』(学研パブリッシング、2013年9月)p.208
- ^ 『田原総一朗の政財界「ここだけの話」』
- ^ 2008年4月6日の「サンデープロジェクト」や映画の記者会見等
- ^ 前原誠司の勇気に応えよ Voice 2008年8月号
- ^ a b 田原総一朗「検察とメディアが生む「小沢冤罪」の危険性」『週刊朝日』第115巻第4号、朝日新聞出版、東京都中央区築地5-3-2、2010年1月、37頁、2010年1月27日閲覧。
- ^ フォーラム神保町=「青年将校化する東京地検特捜部」〜3.15緊急シンポジウム開催〜=
- ^ 拉致被害者:家族会などが田原総一朗氏とテレ朝に抗議 毎日jp 2009年5月11日
- ^ 中曽根外相、田原総一朗氏の拉致被害者めぐる発言は「まったくの誤りだ」 5月19日 産経新聞
- ^ 拉致家族に「申し訳ない」 田原氏の発言でテレビ朝日 朝日新聞 2009年5月19日
- ^ 「有本さんら生きてない」田原総一朗さんを提訴 読売新聞 2009年7月16日
- ^ 2010年3月10日 NHK
- ^ “田原総一朗氏に取材テープ提出命令 拉致被害者巡る発言”. 朝日新聞. (2010年10月24日) 2010年10月28日閲覧。
- ^ “田原氏に取材テープ提出命じる 有本さん訴訟で神戸地裁”. 共同通信社. 47NEWS. (2010年10月24日) 2010年10月28日閲覧。
- ^ “北朝鮮・拉致問題:有本さん生存否定発言 神戸地裁、田原氏に取材録音の提出命令”. 毎日新聞. (2010年10月25日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。 2010年10月28日閲覧。
- ^ “田原総一朗氏、取材テープ提出命令に即時抗告”. 読売新聞. (2010年10月26日). オリジナルの2010年11月27日時点におけるアーカイブ。 2010年10月28日閲覧。
- ^ “取材テープ提出命令を取り消し 田原氏の「拉致発言」で”. 共同通信社. 47NEWS. (2011年1月21日) 2012年10月11日閲覧。
- ^ “取材テープ「提出不要」確定へ 有本さん両親抗告せず”. 共同通信社. 47NEWS. (2011年1月25日) 2012年10月11日閲覧。
- ^ a b “「生きていない」発言、田原氏に100万賠償命令”. 神戸新聞. (2011年11月4日) 2012年10月11日閲覧。
- ^ “拉致発言訴訟、田原氏が控訴断念 判決確定へ”. 神戸新聞. (2011年11月10日) 2012年10月11日閲覧。
- ^ 20歳になった春香クリスティーン 目標は田原総一朗氏! J-castニュース
- ^ 好奇心と公平さ、そして流れを作る嗅覚 田原総一朗に後継者はいない iRONNA三浦瑠麗
- ^ 田原総一朗氏に「今いくつ?」…“毒舌”はに丸が再復活 スポーツニッポン
- ^ namataharaの2016年7月12日15時8分のツイート- X(旧Twitter)
- ^ “鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談 医療に必要なのは方程式ではなく、患者と医師のコミュニケーションだ ジャーナリスト・田原総一朗 × 鎌田 實”. がんサポート. 闘病記. QLife (2011年11月). 2020年11月9日閲覧。
- ^ “プロデューサーが語る「徹子の部屋」の秘密『徹子の部屋』プロデューサー 田原敦子氏に聞く”. 東洋経済オンライン. (2013年11月20日) 2013年12月6日閲覧。
- ^ なぜここまでウケているのか? 秋葉原にAKB48の公演を見に行ってきた
- ^ 田原総一朗「ジャカルタでJKT48の熱気に日本の明るい未来を見た」 現代ビジネス(講談社) 2013年1月11日付記事
- ^ “AKB48“田原総一朗選抜”公演初日 次世代“さやめぐ”がWセンター”. ORICON STYLE (oricon ME inc.). (2015年10月16日) 2016年9月9日閲覧。
- ^ 世界一を取る! 円高でも絶好調、大阪発インバウンド企業 プレジデント 11/14
- ^ 女性宮家の議論着手 今谷・田原氏が賛成 有識者ヒアリング初会合 2012年2月29日 日本経済新聞。
- ^ AKB好き田原総一郎、壇蜜に興奮 2013年8月6日 NEWSポストセブン。
- ^ “【田原総一朗】30年ほぼ変わらない朝ごはん「バターは厚く」は妻の遺言”. 朝日新聞デジタル. 2024年3月19日閲覧。
- ^ a b c 人事興信録45版た72
- ^ 制作者研究 〈“過ぎ去らない”巨匠たちの仕事場〉【第6回】田原総一朗 NHK
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