DDBの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:45 UTC 版)
DDBは1947年にニューヨークで設立された小さな広告代理店だったが、1957年にイスラエル航空のジェット機就航に伴う、一面に映る海面の一部を破き、余白部に「Starting Dec. 23 the Atlantic Ocean will be 20% smaller(12月23日の到来と共に、大西洋が20%小さくなります)」と書き込んだ広告の成功により、一躍注目されることとなる。これが同社によるノン・グラフィックによる広告の先駆けとなった。 そして1959年、同広告を見たフォルクスワーゲンアメリカの最高責任者だった、カール・ハーンがDDBに広告企画を打診し、同年よりフォルクスワーゲン・ビートルの広告企画を開始、ここから1976年まで同ビートルのキャンペーン広告が掲載され続けることとなる。また1962年からは、レンタカー市場で2位に甘んじていたエイビスレンタカーの「We Try Harder」キャンペーンが掲載される頃には、すでにかつてのような豪勢なイラストレーションによる、モラルの欠如した広告は消え去ることとなると共に、またDDBで育ったジュリアン・ケーニグやジョージ・ロイスらのスタッフが独立し、別の広告代理店(PKLなど)を設立し、競争した結果、ノン・グラフィックは広告制作手法の主流となった。
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