D家長女死亡・死体遺棄事件(起訴案件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「尼崎事件」の記事における「D家長女死亡・死体遺棄事件(起訴案件)」の解説
2008年6月ごろ、D家長女はLとともにXらからの虐待に耐えかねて沖縄県まで逃げるが、2008年7月ごろに発見されてX宅に連れ戻された。Xらは逃走の制裁として自宅マンションのベランダに設置していた物置に監視カメラをつけた上で半袖シャツ姿にしたD家長女とLを閉じ込めた 。Lはその後Xに対する忠誠を誓って許されX宅で普通に暮らすことを許されたが、D家長女に対する監禁は継続され、D家長女は暴行を加えられるなどして衰弱していった。2008年12月8日ごろ、D家長女は低体温症により死亡した 。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述に基づき、遺体が発見された。 この事件では、X、H、I、M、J、K、L(被害者の夫)、N(被害者の妹)の8名が共謀してD家長女を殺害したとして、既に死亡しているXを除く7人が殺人と監禁容疑で逮捕、同罪で起訴されている。また、Xは同容疑で書類送検された。
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