BULLET CLUB時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:47 UTC 版)
「高橋裕二郎」の記事における「BULLET CLUB時代」の解説
2014年に入ると、新日本年間最大のビッグマッチとなるレッスルキングダムにカードが組まれずに欠場。3月のNJCでは出場こそはしたものの、シェルトン・X・ベンジャミンにピンフォール負けを喫し、一回戦で敗退した。その後シリーズには帯同しながらも、INVASION ATTACK、レスリングどんたくといったビッグマッチではカードが組まれずに出場の機会が減少。4月シリーズのRoad to レスリングどんたくでは各大会で無気力ファイト、自軍の敗戦が濃厚になると足早に退場するといった単独行動が目立つようになり、高橋は自身のTwitterでビッグマッチで自分の試合が組まれないことに対する会社への不満をツイートするようになる。 5月3日、レスリングどんたく 2014にて行われたAJスタイルズvsオカダ・カズチカのIWGPヘビー級選手権試合の試合中に突如乱入しオカダに対してラリアット、東京ピンプスを見舞いAJの勝利をアシスト。試合後、高橋はCHAOSを脱退し「BULLET CLUB」に加入した。 6月29日、後楽園大会にて石井智宏の保持するNEVER無差別級王座に挑戦、マイアミ・シャインで石井からピンフォールを収め第4代王者に輝き、自身初となるシングル王座を手に入れた。
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