B.J.アームストロング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 08:59 UTC 版)
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サクラメント・キングス A-GM | |||||||||||||||
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役職 | アシスタントGM | ||||||||||||||
所属リーグ | NBA | ||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||
愛称 | The Kid | ||||||||||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1967年9月9日(57歳) | ||||||||||||||
出身地 | ![]() |
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身長(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) | ||||||||||||||
体重(現役時) | 84kg (185 lb) | ||||||||||||||
キャリア情報 | |||||||||||||||
高校 | ブラザーライス高等学校 | ||||||||||||||
大学 | アイオワ大学 | ||||||||||||||
NBAドラフト | 1989年 / 1巡目 / 全体18位[1] | ||||||||||||||
シカゴ・ブルズから指名
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プロ選手期間 | 1989年–2000年 | ||||||||||||||
ポジション | PG | ||||||||||||||
背番号歴 | 10, 11, 2 | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
1989–1995 | シカゴ・ブルズ | ||||||||||||||
1995–1997 | ゴールデンステート・ウォリアーズ | ||||||||||||||
1997–1999 | シャーロット・ホーネッツ | ||||||||||||||
1999 | オーランド・マジック | ||||||||||||||
1999–2000 | シカゴ・ブルズ | ||||||||||||||
受賞歴 | |||||||||||||||
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NBA通算成績 | |||||||||||||||
得点 | 7,320 (9.8 ppg) | ||||||||||||||
リバウンド | 1,321 (1.8 rpg) | ||||||||||||||
アシスト | 2,479 (3.3 apg) | ||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com
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代表歴 | |||||||||||||||
キャップ | ![]() |
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B・J・アームストロングことベンジャミン・ロイ・アームストロング・ジュニア(Benjamin Roy Armstrong Jr., 1967年9月9日- )は、アメリカ合衆国・ミシガン州デトロイト出身の元プロバスケットボール選手。ポイントガードとして1990年代シカゴ・ブルズの栄光を支えた。身長188cm。
経歴
地元の高校を卒業後、アイオワ大学に進学、アシスト数517は未だに歴代1位、スティール178(歴代3位)、1705得点(歴代4位)、スリーポイントシュート成功率44.3%などの記録を作っている。4年次には1試合平均18.6得点、5.4アシストを記録した。
1989年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズから1巡目全体18位で指名されて入団。初年度から81試合に出場、チームは55勝27敗でイースタン・カンファレンスファイナルまで進出した。2シーズン目にはベテラン先発ガードのジョン・パクソンに代わって出場時間を増やしブルズがレギュラーシーズン61勝をあげてロサンゼルス・レイカーズを破りNBAファイナル初優勝することに貢献した。翌シーズンも控えとしての起用ながらプレイタイムはパクソンとほぼ同じ程度となり1試合あたり二桁得点を記録しブルズが67勝15敗で、2連覇するのに貢献した。トライアングルオフェンスにおいて、アームストロングやパクソンといったピュアシューターは貴重な存在で、オープンショットを確実に決めることで相手チームに与えるダメージは途轍もなく大きいものであった。ファンもそれをわかっており、アームストロングのベビーフェイスと、気の強いクラッチシュートはファンからとても人気で、彼がシュートを決めると会場は大いに盛り上がった。1992-93シーズンからは先発で出場するようになり、ブルズの3連覇に貢献した。この年彼は3ポイントシュート成功率リーグトップの45.3%をマークした[1]。1993-94シーズンは、マイケル・ジョーダンの突然の引退によりスコッティ・ピッペン、ホーレス・グラントに次ぐチームで3番目の平均得点をあげ初めてオールスターゲームに出場した[2]。チームは55勝27敗でプレイオフ2回戦でニューヨーク・ニックスに敗退した。1994-95シーズンは、再びチームで3番目の平均得点をあげ、シーズン終盤に復帰したマイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、トニー・クーコッチと共に47勝35敗で終え、プレイオフ2回戦まで進出した。
1995年、新加入のトロント・ラプターズにエクスパンション・ドラフトで指名されたが入団を拒否、ゴールデンステート・ウォリアーズにトレードで移籍して2年間プレイした。
1997年、シーズン開幕後4試合プレイした後、マグシー・ボーグス、トニー・デルクとの交換でシャーロット・ホーネッツにトレードされた。その後1999年3月10日、グレン・ライス、J・R・リードと共にロサンゼルス・レイカーズのエディー・ジョーンズ、エルデン・キャンベルとトレードされたがレイカーズにより即日ウェイバー公示されて3月14日にオーランド・マジックと契約を交わした。同年8月30日、彼は2度の栄光が終わり再建途上にあるブルズに復帰し1シーズンプレイした。
現役引退後、ブルズのフロントに入り、ゼネラルマネージャー、ジェリー・クラウスの補佐をした。2003年にゼネラルマネージャーにジョン・パクソンが就任したときも、彼はチームに2年間留まり2005年に退団した。
その後彼は、ESPNでバスケットボール解説者になっている。
個人成績
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
NBA
レギュラーシーズン
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989–90 | CHI | 81 | 0 | 15.9 | .485 | .500 | .885 | 1.3 | 2.5 | .6 | .1 | 5.6 |
1990–91† | 82 | 0 | 21.1 | .481 | .500 | .874 | 1.8 | 3.7 | .9 | .0 | 8.8 | |
1991–92† | 82 | 3 | 22.9 | .481 | .402 | .806 | 1.8 | 3.2 | .6 | .1 | 9.9 | |
1992–93† | 82 | 74 | 30.4 | .499 | .453* | .861 | 1.8 | 4.0 | .8 | .1 | 12.3 | |
1993–94 | 82* | 82* | 33.8 | .476 | .444 | .855 | 2.1 | 3.9 | 1.0 | .1 | 14.8 | |
1994–95 | 82* | 82* | 31.4 | .468 | .427 | .884 | 2.3 | 3.0 | 1.0 | .1 | 14.0 | |
1995–96 | GSW | 82 | 64 | 27.6 | .468 | .473 | .839 | 2.2 | 4.9 | .8 | .1 | 12.3 |
1996–97 | 49 | 17 | 20.8 | .453 | .278 | .861 | 1.5 | 2.6 | .5 | .0 | 7.9 | |
1997–98 | 4 | 0 | 14.8 | .316 | .000 | .714 | 1.8 | 1.5 | 1.0 | .0 | 4.3 | |
CHA | 62 | 0 | 12.5 | .510 | .265 | .860 | 1.1 | 2.3 | .4 | .0 | 3.9 | |
1998–99 | 10 | 1 | 17.8 | .488 | .750 | .900 | 1.6 | 2.7 | .3 | .0 | 5.7 | |
ORL | 22 | 0 | 8.2 | .422 | .143 | .818 | 1.0 | 1.5 | .4 | .0 | 2.2 | |
1999–00 | CHI | 27 | 18 | 21.6 | .446 | .448 | .880 | 1.7 | 2.9 | .3 | .0 | 7.4 |
通算 | 747 | 341 | 23.8 | .477 | .425 | .856 | 1.8 | 3.3 | .7 | .1 | 9.8 | |
オールスター | 1 | 1 | 22.0 | .556 | .500 | --- | 1.0 | 4.0 | .0 | .0 | 11.0 |
プレーオフ
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | CHI | 16 | 0 | 13.6 | .339 | .000 | .917 | 1.3 | 1.8 | .6 | .0 | 4.0 |
1991† | 17 | 0 | 16.1 | .500 | .600 | .800 | 1.6 | 2.5 | 1.1 | .1 | 5.5 | |
1992† | 22 | 0 | 19.7 | .453 | .294 | .789 | 1.1 | 2.1 | .6 | .0 | 7.3 | |
1993† | 19 | 19 | 33.8 | .524 | .512 | .909 | 1.5 | 3.3 | 1.0 | .1 | 11.4 | |
1994 | 10 | 10 | 36.0 | .519 | .583 | .818 | 2.4 | 2.5 | .8 | .0 | 15.3 | |
1995 | 10 | 10 | 28.8 | .456 | .448 | .818 | 1.8 | 2.7 | .6 | .0 | 10.3 | |
1998 | CHA | 9 | 0 | 16.2 | .381 | .400 | .750 | 1.1 | 2.0 | .7 | .0 | 4.1 |
1999 | ORL | 2 | 0 | 1.5 | .000 | --- | --- | .0 | .5 | .0 | .0 | .0 |
通算 | 105 | 39 | 22.5 | .471 | .451 | .832 | 1.4 | 2.4 | .8 | .0 | 7.9 |
その他
- 彼がブルズ時代に着けていた「10番」は1995年に彼が退団した後、往年のスター選手だったボブ・ラブの永久欠番となった。そのため、復帰した後は「11番」を使用した。
- 1996/97シーズンの終盤まで577試合に連続出場、NBA史上3位の記録を作った。
脚注
- ^ nba.com Player bio
- ^ ピッペン、グラントも出場ブルズからは3人の選出となった。
外部リンク
- databasebasketball.com
- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference
- NBA.com
- Catholic High School Hall of Fame Info 出身高校の殿堂入り
- インタビュー SportsAgentBlog.com
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アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 |
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シカゴ・ブルズの選手 |
シャノン・ブラウン ジョージ・ガービン B.J.アームストロング ジョアキム・ノア ランディー・ホーカム |
オーランド・マジックの選手 |
コートニー・リー ドミニク・ウィルキンス B.J.アームストロング デービッド・ベンワー キース・ボーガンス |
シャーロット・ホーネッツの選手 |
ジャマール・マグロア ケニー・アンダーソン B.J.アームストロング リッキー・ピアース ブラッド・ミラー |
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