Andriscusとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Andriscusの意味・解説 

アンドリスコス

(Andriscus から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 02:06 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アンドリスコス
Ανδρίσκος
マケドニア王
アンドリスコスを象った貨幣
在位 紀元前149年 - 紀元前148年

出生 紀元前185年
ミュシア
死去 紀元前146年
ローマ
テンプレートを表示

アンドリスコスギリシア語: Ανδρίσκος, 紀元前185年頃 - 紀元前146年頃)は、マケドニア王国の支配者(在位:紀元前149年 - 紀元前148年)。偽ピリッポス英語: pseudo-Philip)とも呼ばれる。

概要

アナトリアアイオリス地方にあったアドラミュティオン(現:エドレミト英語版の織物業者(fuller)であったとされる。その後、アンティゴノス朝最後のバシレウスであったペルセウスの子と詐称してピリッポス6世(Philip VI)を名乗った。

アンドリスコスはマケドニアの支持を得られず、セレウコス朝(シリア)のデメトリオス1世ソテル英語版の支援を受け、共和政ローマと戦った(第四次マケドニア戦争)。この時は逃げたが、再びトラキア人の大軍を率いてマケドニアに現れ、紀元前148年にプラエトルのプブリウス・ユウェンティウス(Publius Juventius)を破って、バシレウスを名乗った。しかし、テッサリアの征服およびカルタゴとの同盟は状況を悪化させ、紀元前148年に、クィントゥス・カエキリウス・メテッルスに敗れ、トラキアに逃げるが、トラキアの王子によってローマに引き渡された。

アンドリスコスに勝利したことで名声を高め、メテッルスは「マケドニクス」の添え名を得た。アンドリスコスの短い支配は虐待および搾取が顕著であった。以後、マケドニアはローマの属州となった。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Andriscus」の関連用語

Andriscusのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Andriscusのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアンドリスコス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS