4大大会初優勝から全盛期へとは? わかりやすく解説

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4大大会初優勝から全盛期へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 16:09 UTC 版)

イワン・レンドル」の記事における「4大大会初優勝から全盛期へ」の解説

1984年全仏オープンレンドルはついに宿願4大大会初優勝達成する決勝では、この年絶好調年初から連勝続けていたジョン・マッケンロー3-6, 2-6, 6-4, 7-5, 7-5 と2セット・ダウン(先に相手に2セット取られた状態)からの大逆転破りマッケンロー年初からの連勝記録42止めたまた、マッケンローこの年わずか3敗しかしなかったが、そのうち最初の1敗をレンドルがつけたことになる。しかし3年連続決勝進出果たした同年全米オープンではマッケンロー完敗しており、3年連続準優勝終わった。翌1985年は、連覇狙った全仏オープンこそ決勝でビランデルに敗れ準優勝終わったが、全米オープンでは決勝マッケンロー破って前年雪辱を果たすと同時に4年連続決勝進出でようやく全米オープン初優勝果たした1986年全仏オープン3年連続決勝進出果たし決勝ミカエル・ペルンフォルス破り2年ぶり2度目優勝果たしたこの年ウィンブルドンでも初の決勝進出果たしたが、当時18歳ボリス・ベッカー完敗し連覇許している。全米では5年連続決勝進出ミロスラフ・メチージュ下して連覇果たしたこの年大会開催時期変更過渡期であった全豪開催されなかったため、レンドル変則的ながらも年間グランドスラム全大決勝進出果たした。翌1987年全仏全米優勝いずれも決勝でビランデルを下して栄冠であったウィンブルドンでも2年連続決勝進出果たしたが、オーストラリアパット・キャッシュ敗れて2年連続準優勝終わったキャッシュにはこの年から開催1月戻った全豪でも準決勝敗れている。このときは、レンドルにとってウィンブルドン優勝最大チャンス呼ばれていたが、悲願はかなわなかった。その後も、全仏欠場してまでウィンブルドン照準合わせる当時自分専用芝生コート作るなどの努力したものの、4大大会のうちウィンブルドンタイトル手にすることはできなかった。なお、レンドル1985年全米から1988年全豪まで10大会連続(※1985年全豪12月開催であるため、9大会連続ではなく10大会連続となる)でのグランドスラム準決勝進出果たしている。これは現在ではフェデラーに次ぐ歴代2位の大記録である。また、1985年1987年にかけてザ・マスターズ 現:ATPワールドツアー・ファイナルにおいて3連覇達成している。

※この「4大大会初優勝から全盛期へ」の解説は、「イワン・レンドル」の解説の一部です。
「4大大会初優勝から全盛期へ」を含む「イワン・レンドル」の記事については、「イワン・レンドル」の概要を参照ください。

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