3度目の覚書交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:14 UTC 版)
「スターリン・ノート」の記事における「3度目の覚書交換」の解説
欧州防衛共同体(TOE)条約調印の前日にソ連は第3次覚書を送った(1952年5月24日)。その中でスターリンは西欧諸国の条約(ドイツ条約では統一後も効力を維持する事になっている)を批判し、平和条約の交渉を遅らせている事を非難した。また、条約交渉時の全ドイツ政府は戦勝国の支配下に置かれたままでなければならないと述べた。西側が1952年7月10日に行った回答で、社会主義統一党 による東ドイツの中央集権化、集団化、司法制度の変更を批判した。会議で平和条約はまだ交渉されるべきではなく、選挙委員会で決定されるべきだと述べた。ポツダム会談の決定が交渉の基礎となり得るかどうかという問題は、依然として意見の相違が続いた。西側の見解ではこれらの決定は1945年以降のあらゆる経緯と矛盾していた。
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