2008年政治危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:55 UTC 版)
詳細は「2008年タイの政治危機(英語版)」を参照 2007年12月の総選挙により、2008年2月に「タクシンの代理人」を標榜するサマック・スントラウェート(在任2008年2月-9月)内閣が成立すると、2月28日、元首相タクシンが帰国した。民主市民連合 (PAD) は反タクシン運動を再開し、8月26日にはサマックの退陣を求める大規模活動を行い、首相府などを占拠した。これに対してタクシン支持派の反独裁民主戦線(英: United Front of Democracy Against Dictatorship、略称: UDD)らは「赤色のシャツ」を着て民主市民連合 (PAD) に対抗し、9月2日の衝突においては政権派1人が死亡した。 9月9日、憲法裁判所の判決によりサマックは失職し、次いでタクシンの妹ヤオワパー・ウォンサワットの夫であり副首相であったソムチャーイ・ウォンサワット(在任2008年9-12月)が就任したが、その所信表明演説が行われる10月7日、民主市民連合 (PAD) は前夜より国会を包囲し、議員の入構を阻止した。警察はデモ隊に催涙弾を撃ち、衝突は死者2人・負傷者500人余りの惨事となった。この「10月7日事件」の後、民主市民連合 (PAD) は11月25日、スワンナプーム国際空港を占拠するという過激行動を起こしたが、12月2日、憲法裁判所が与党3党(国民の力党・国民党・中道主義党)に解党およびソムチャーイらに失職を命じたことで終結した。
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