2004年大統領選挙とダイオキシン毒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 12:27 UTC 版)
「ヴィクトル・ユシチェンコ」の記事における「2004年大統領選挙とダイオキシン毒」の解説
2004年、クチマの任期満了に伴い、大統領選挙に野党から立候補した。2004年9月、ユシチェンコは突然重病にかかり、美男子として鳴らしていた顔が痘痕だらけとなった。これはダイオキシン中毒によるものとされたが、真相は不明であった。ユシチェンコらは親ロシア派の対立陣営(またはロシアのFSBによる)による置毒を主張したので、国民の同情は高まった。 11月21日、与党の推す親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ首相との決選投票が行われた。しかし、ヤヌコーヴィチ首相が勝利したという投票結果を巡り、ウクライナを東西に二分する大混乱(オレンジ革命)を引き起こし、最高裁判所の裁定により再選挙を実施することになった。 12月26日に実施された再選挙では、ユシチェンコが52.12%、ヤヌコーヴィチが44.09%を得票し、ユシチェンコが当選した。ヤヌコーヴィチ陣営は不正があったとして最高裁に提訴したが再び野党による政府施設の封鎖が起こり、12月30日には提訴が却下され、政権交代が確定した。そして2005年1月23日、ウクライナ最高会議で宣誓を行って大統領へ就任し、オレンジ革命の盟友であるユーリヤ・ティモシェンコを首相に任命した。 詳細は「オレンジ革命」を参照
※この「2004年大統領選挙とダイオキシン毒」の解説は、「ヴィクトル・ユシチェンコ」の解説の一部です。
「2004年大統領選挙とダイオキシン毒」を含む「ヴィクトル・ユシチェンコ」の記事については、「ヴィクトル・ユシチェンコ」の概要を参照ください。
- 2004年大統領選挙とダイオキシン毒のページへのリンク