2001年インド議会襲撃事件
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「マスード・アズハル」の記事における「2001年インド議会襲撃事件」の解説
ジャイシュ=エ=ムハンマドは2001年12月にインドとパキスタンを全面戦争の瀬戸際に追いやるインド議会に対する襲撃事件(英語版)などインドを狙った一連の徹底的な襲撃事件を起こした。ニューデリーのインドの国会に対するテロ攻撃は、2001年12月13日に発生した。実行犯は共にパキスタンに拠点を置くテロ組織ラシュカレトイバ(LeT)とジャイシュ=エ=ムハンマド(JeM)に属していた。この攻撃でテロリスト5人、デリー警察(英語版)職員6人、議会警備部職員2人、庭師1人(全部で14人)が死亡し2001年-2002年のインド・パキスタンの膠着状態(英語版)につながるインドとパキスタンの緊張を高めることになった。 インド議会襲撃事件から間もなくの2001年12月29日、インドや国際社会の外交圧力を受けて、マスード・アズハルは襲撃事件に関わったとしてパキスタン当局から1年間拘禁されたが、正式に告発されることは決してなかった。インドの憤激を大いに買いながらラホール高等裁判所は2002年12月14日に自宅軟禁の終了を命じた。アズハルはその後逮捕されることはなかった。
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