2人のサム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 20:22 UTC 版)
コルトは長く製造を止めているつもりはなかったが、それから間もなく、水中電気起爆装置の売込みをやっている時に、サミュエル・モールスと出会う。2人は友人となり、政府からの出資を働きかけた。コルトの考案した耐水性ケーブルが、モールスの考えていた湖・川・湾を通す電信線に有効と分かり、特に大西洋を渡す新しい海底ケーブルを敷設するときは、共同で事業を行った。 1841年末にイギリスとの関係が緊張していたこともあり、議会からの予算を得て、コルトはアメリカ政府に水中機雷の説明を始めた。1842年には1隻の船を破壊することに成功したので、海軍とジョン・タイラー大統領の満足を得ることができた。しかし個人的にコルトを嫌っていた、マサチューセッツ州選出のジョン・クィンシー・アダムズ下院議員が、その計画を止めさせてしまった。 コルトは続いて耐水性電信ケーブルの製造に集中した。この事業はモールスの発明で活気付くと信じており、ケーブル1マイル当たり50ドルを売り上げた。このケーブルをもっと広い市場に出すため、電信会社への売り込みも始めた。
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