1974年2月イギリス総選挙とは? わかりやすく解説

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1974年2月イギリス総選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/10 01:20 UTC 版)

1974年2月イギリス総選挙
United Kingdom general election, 1974

1970年 ←
1974年2月28日
→ 1974年10月

内閣 ヒース内閣
解散日 1974年2月8日
公示日 1974年2月18日
改選数 635
選挙制度 単純小選挙区制
有権者 選挙データを参照
選挙後の党派別勢力図

庶民院 全635議席
投票率 78.8%( 6.8%)
  第1党 第2党 第3党
 
党首 ハロルド・ウィルソン エドワード・ヒース ジェレミー・ソープ
政党 労働党 保守党 自由党
党首就任 1963年2月14日 1965年7月28日 1967年1月18日
党首選挙区 ヒュートン シドカップ ノースデボン
前回選挙 288 330 6
選挙前議席 287 325 6
獲得議席 301 297 14
議席増減 14 28 8
得票数 11,645,616 11,872,180 6,059,519
得票率 37.2% 37.9% 19.3%
得票率増減 5.9% 8.5% 11.5%

選挙区別獲得議席

選挙前首相

エドワード・ヒース
保守党

選出首相

ハロルド・ウィルソン
労働党

1974年2月イギリス総選挙(1974ねん2がつイギリスそうせんきょ、United Kingdom General Election of 28th February 1974)は、英国議会(正式名称:グレートブリテン及び北アイルランド連合王国議会)の議員を選出するため、1974年2月28日に行われた英国における総選挙である。

概要

首相に就任した労働党党首のハロルド・ウィルソン
ヒース首相

この選挙は、前年から行われていた炭労が主導するストライキに、運輸電力労働組合が追随し、電力不足が深刻化する状況下で行われた。「この国を統治するのは誰か。労働組合か、それとも選挙によって選ばれた政府か」のスローガンに象徴されたヒース首相の対労働組合強硬路線に対する信任投票の色合いが、強いものとなった[1]

選挙の結果、保守党と労働党は共に過半数に届かなかった(ハング・パーラメント)。保守党は第3党の自由党の協力を得て政権を維持しようとしたが失敗し、比較多数で第1党となった労働党の党首であったウィルソンが首相に就任した。

選挙データ

  • 選挙時の首相エドワード・ヒース(保守党)・・・前回(1970年)の選挙で首相に就任した。
  • 議会構成上院貴族院)と下院庶民院)の両院で構成されるが、上院の議員は、全員が世襲貴族や一代貴族から選出されるので、総選挙で選出されるのは下院議員のみである。
  • 下院議員の任期:任期は5年である。しかし、任期が満了する前に下院が解散されて選挙となることが多い。
  • 定数:635議席
  • 選挙制度:選挙区で最多得票を得た候補のみが当選する完全小選挙区制

選挙結果

  • 投票日:1974年2月28日
  • 投票率:78.8%
党派別議席数と得票・率(議席を確保した政党のみ記載)
党派 得票 % 候補 議席
  
Labour 労働党 11,645,616 37.2 623 301
  
Conservative 保守党 11,872,180 37.9 623 297
  
Liberal 自由党 6,059,519 19.3 517 14
SNP スコットランド国民党 633,180 2.0 70 7
UU アルスター統一党 232,103 0.7 7 7
PC[2] ブライド・カムリ 171,374 0.5 36 2
SDLP 社会民主労働党 160,437 0.5 12 1
VUPP ヴァンガード連合進歩党 75,944 0.2 2 2
UDUP アルスター民主統一党 58,656 0.2 2 1
Ind Lab 独立労働党 26,892 0.1 6 1
Dem Lab リンカーン民主労働協会 14,780 0.1 1 1
合計 635
有効得票数:39,753,863票
出典:General Election Results 1885-1979。

得票率では0.2%の僅差で保守党が第1党となったが、議席数では労働党が比較第1党となったため、党首のウィルソンが自由党の協力を得る形で首相に就任した。炭労を中心としたストに対する国民の不満は労働党ではなく、労働組合との対決姿勢を崩そうとしない保守党に向けられた形となった。政権に返り咲いた労働党内部では、古典的な社会主義理念を重んじる左派が勢力を伸ばし、地方組織や労働組合上層部は左派勢力が牛耳る状態に近くなった[3]

脚注

  1. ^ 林信吾著『これが英国労働党だ』新潮選書130頁
  2. ^ ブライド・カムリはウェールズ語の呼び名で、英語では“The Party of Wales”で直訳すれば「ウェールズの党」となる。
  3. ^ 脚注1と同著より

外部リンク

関連項目




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