1968年中京競馬暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:46 UTC 版)
1968年12月8日の中京第10競走中日賞で、久保はフジタカに騎乗して1位入線した。フジタカは決勝線手前で斜行して他馬の進路を妨げていたが、場内に審議の発表が行われないまま、確定を示すランプが点された。しかし、その後になって競馬会が進路妨害によるフジタカの失格を発表。これを不服とした一部の競馬ファンが暴徒化して場内で投石や放火を始め、機動隊が出動する事態となった。久保ら当事者はパトカーによる護送で競馬場を後にし、翌12月9日には繰り上がり1位となったカルタゴに騎乗していた同期の清水出美や、競馬会の委員らと共に警察署で事情聴取を受けた。久保は暴動発生の責任を負わされて競馬会から3か月間の騎乗停止を通告されたが、「暴動が起きたのは審議のランプを点けずに確定のランプを点けたせいだ」と抗議し、処分は1か月間に減じられた。この事件によって中京開催は残り2日間が中止となり、予定されていた中京最後の繋駕速歩競走が行われないままで終わった。
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