1967年のクーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 06:28 UTC 版)
「ゲオルギオス・パパドプロス」の記事における「1967年のクーデター」の解説
1965年のコンスタンティノス2世国王によるゲオルギオス・パパンドレウ首相の解任を切っ掛けに、ギリシア内政は左右の対立が顕在化した。国王が度々首相を指名しては反国王派が多数を占める議会が不信任を突き付ける事態が繰り返され、政局は不安定さを増した。 1967年4月21日に大佐となっていたパパドプロスを中心とした陸軍将校がクーデターを決行し、検事総長のコンスタンティン・コリアスを首相につけて戒厳令を敷き自分は総務長官に就いた。全ての政党は解散され、パパンドレウ、パナゴティス・カネロプロス首相など主だった政治家も拘束される。 コンスタンティノス国王も当初はクーデターを追認したが、政権の実権を握ったパパドプロスの専横に嫌気が差して12月13日に自ら決起した。しかし軍の多数派の支持を得ることが出来ずに結局国王はイタリアのローマへ脱出し、パパドプロスは自ら首相に就任して名実共に独裁者となった。
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