1921年大旱魃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「1921年大旱魃」の解説
1921年になると、旱魃は激しさを増した。サマーラ県では1920年夏から雨が減り、この時期から一年間の降水量は平年の半分であった。秋の降水も積雪も少なく、1921年には、春が異様に早く訪れ、強い陽光によって、秋蒔きの穀物が枯れていった。例年より、はるかに雨が少なく、平均気温は高かった。ライ麦は早く熟しすぎて萎れた。収穫は平年の20分の1から30分の1になった。家畜も激減した。いままでの過酷な割当徴収などによって農村には凶作に耐える力はもうなかった。5月には餓死者が出始めた。
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