1857年夏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:32 UTC 版)
「アメリカ陸軍ラクダ部隊」の記事における「1857年夏」の解説
最初の旅はキャンプ・ヴェルデからサンアントニオ、フォート・デイビス、エルパソを経てテキサスとニューメキシコ準州の境界を越え、アルバカーキを経由してフォート・ディファイアンスに到達するものであった。 1857年6月25日、遠征隊は、46頭のラバが曳く荷馬車、250頭の羊に25頭のラクダを従えてサンアントニオを出発した。ラクダ1頭につき700-1000ポンドの荷物を積んでいた。 ビールは当初ラクダの性能に落胆していた。出発翌日の6月26日、彼は日誌に「今のところ、ラクダは荷馬車についていけないが、道に慣れればもっとよくなると信じる」と書いた。しかし2週間後には「ラクダは今や隊列に追いつき、荷馬車と一緒にキャンプに入ってくる」と自信を深めていた。 7月にはビール一行はエルパソへ到着した。現地で書かれたフロイド長官宛の手紙の中で、一日の遅延もなく到着できたこと、背中や体を痛めているラクダはいないことを述べた。また、サンアントニオからエルパソまでの道は靴を履いていない足にはとてつもなく厄介な道だが、ラクダはとても歩みが柔らかく真っ直ぐに足を下すので揺れたり滑ったりもしなかったと評価し、ラクダのおとなしさ、忍耐強さ、管理しやすさといった点で、5頭のラバよりも20頭のラクダの管理の方がやりやすいとも述べた。 フォート・ディファイアンスに向かう途中ビールは、メキシコ戦争で片腕を失ったローリング大佐と合流することになっていた。しかしビールが乗ったラクダは大佐の馬を簡単に追い越し、文字通り彼を置き去りにしてしまったのである。二人は2日後に再会し、1857年8月25日、共にフォート・ディファイアンスに到着した。
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