1796年の大統領選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 07:47 UTC 版)
「ジョン・アダムズ」の記事における「1796年の大統領選挙」の解説
詳細は「1796年アメリカ合衆国大統領選挙」を参照 1796年の大統領選挙は第一政党制の下で初めて争われたものとなった。アダムズは連邦党の候補者となり、サウスカロライナ州知事のトマス・ピンクニーも連邦党として立った(当時、副大統領は投票で2位になった者が選ばれたので、現代の意味での副大統領候補というものはいなかった)。連邦党はジェファーソンに行く票を潰す大統領候補としてアダムズを望んだ。連邦党員の大半はハミルトンの方を候補者にしたかった。ハミルトンとその追随者達はアダムズを支持したが、蟠りもあった。彼等はアダムズを二つの悪のうちでましなほうと考えた。しかし、ワシントンを成功に導いた真面目さや人気が無いと考えており、アダムズが余りに自惚れが強く、意固地で、気まぐれでかつ頑固で彼等の指示に従わないような事態を恐れた。 アダムズの対抗馬は、バージニア州出身で前国務長官のトーマス・ジェファーソンであり、ニューヨーク州出身の上院議員アーロン・バーと共に民主共和党の候補者となった。 アダムズは従来の慣習を踏襲して選挙戦の間もマサチューセッツ州クィンシーの自宅に留まった。愚かで危険なゲームと呼ぶものからは離れていたいと考えた。しかし、連邦党はアダムズのために選挙運動を行い民主共和党はジェファーソンのための選挙戦を行った。 アダムズはニューイングランドの票を支配すると予測され、一方ジェファーソンは南部州で勝利すると見られていた。結果を見ると選挙人選挙ではアダムズは71票を獲得し、68票を得たジェファーソンを僅差で破った。ジェファーソンは副大統領になった。
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