1797年-1808年、日米貿易に関する資料を所蔵
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「ピーボディ・エセックス博物館」の記事における「1797年-1808年、日米貿易に関する資料を所蔵」の解説
セイラムを出航し、長崎で貿易を行った米国船籍に関する資料を所蔵している。その貿易は、 オランダがフランス革命軍に占領されたために日蘭貿易が途絶え、その間1797年(寛政9年)から1809年(文化6年)まで、数隻の米国船がオランダ国旗を掲げて長崎の出島で行ったもの。その記録は次の通り。 1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のイライザ号。 1798年、同上。 1799年、ジェームズ・デブロー船長のフランクリン号。 1800年、ウィリアム・V・ハッチングス船長のマサチューセッツ号。 1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のエンペラー・オブ・ジャパン号。 1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長のマーガレット号。 1802年、ジョージ・スティルス船長のサミュエル・スミス。 1803年、ジェームズ・マクニール船長のレベッカ号。 1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のナガサキ号。 1806年、ヘンリー・リーラー船長のアメリカ号。 1807年、ジョセフ・オカイン船長のエクリブス号。 1807年、ジョン・デビッドソン船長のマウント・バーノン号。 1809年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカレベッカ号。
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