1788年のカノン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:16 UTC 版)
「俺の尻をなめろ」の記事における「1788年のカノン」の解説
1788年にも同様に下品な歌詞のカノンが作曲された。ここでは3曲を挙げる。 戦記を読むなんて俺にはとても (Difficile lectu mihi mars) K.559 ヘ長調 おお、お前ばかなパイエルよ (O du eselhafter Peierl) (K.559a) ヘ長調カノン『おお、お前ばかなマルティンよ』K.560は歌詞の「パイエル」を「マルティン」に変え、ト長調にしたもの。 お休み、お前はほんとのお馬鹿さん (Bonna box! bist a rechta OX) K.561 イ長調 1曲目は、友人のテノール歌手パイエル(Johann Nepomuk Peyerl、1761年-1800年)をからかうために作られた。ラテン語もどきの歌詞「Difficile lectu mihi mars」をパイエルがなまりのある発音で歌うと、聴衆には「俺の尻をていねいになめろ(Diffizil(e) leck du mich im Arsch)」というドイツ語の歌詞が聞こえるように作られている。また「jonicu」(イオニア詩)という単語を何度も繰り返して早口で歌う部分があるが、これはイタリア語で「睾丸」(coglioni, cujoni)と連呼しているように聞こえる。2曲目は、1曲目のあとでパイエルに種明かしをするために歌われたもので、やはり「俺の尻をなめろ」という箇所がある。3曲目は、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語で「お休みなさい」と歌いながら、最後に「ベッドに糞をして」「尻をなめろ」という歌詞で終わる。
※この「1788年のカノン」の解説は、「俺の尻をなめろ」の解説の一部です。
「1788年のカノン」を含む「俺の尻をなめろ」の記事については、「俺の尻をなめろ」の概要を参照ください。
- 1788年のカノンのページへのリンク