15年ぶりにビッグレース出場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 04:26 UTC 版)
「阿部良二」の記事における「15年ぶりにビッグレース出場」の解説
ともすれば、これから更なるタイトル獲りが期待されていた時代に不遇をかこつことになった阿部。40代の初めの頃にはついにA級に陥落することになったが、そのA級で往時を彷彿とさせる力強い走りを随所に見せ、20代の若手選手が阿部にマークにつくといったレースもしばし見られるようになった。 そして、40代終盤にさしかかる頃にS級復帰を果たし、2002年6月開催のふるさとダービー(松阪競輪場)において、1987年の日本選手権競輪以来、何と15年ぶりにビッグレースへの出場を果たした。だが、この出場を手土産にするかのごとく、その2年後となる2004年9月28日に選手登録を削除され、引退した。通算勝利数670。なお、阿部が登録地として籍を置いていた岩手県には競輪場がないため、引退式はサテライト石鳥谷で行われた。 現役選手時代から高校生を中心としたアマチュアを指導していた縁もあり、引退後は日本ナショナルチームのヘッドコーチに任命され、フレデリック・マニェ監督を補佐。2010年のトラックレース世界選手権では、マニェが前年に退任したことを受け、監督を務めた。
※この「15年ぶりにビッグレース出場」の解説は、「阿部良二」の解説の一部です。
「15年ぶりにビッグレース出場」を含む「阿部良二」の記事については、「阿部良二」の概要を参照ください。
- 15年ぶりにビッグレース出場のページへのリンク