杉山加代子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 09:01 UTC 版)
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基本情報 | ||||||||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1961年10月31日(63歳) | |||||||||||
出身地 | 茨城県稲敷郡阿見町 | |||||||||||
ラテン文字 | Kayoko Sugiyama | |||||||||||
身長 | 180cm | |||||||||||
体重 | 68kg | |||||||||||
血液型 | B型 | |||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
愛称 | スギ | |||||||||||
ポジション | エース | |||||||||||
指高 | 227cm | |||||||||||
利き手 | 右 | |||||||||||
スパイク | 313cm | |||||||||||
ブロック | 295cm | |||||||||||
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杉山 加代子(すぎやま かよこ、現姓:加藤(かとう)、1961年10月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボール女子銅メダリスト。
来歴
茨城県稲敷郡阿見町出身。自衛隊職員の父親をもち、スポーツ一家に生まれる。メキシコオリンピック銀メダリストの笠原洋子は親戚。
県下のバレーボール伝統校であった竜ヶ崎二高へ入学するとエースポジションを任され、インターハイグループ戦で名門の博多女子商業と渡り合い大活躍した。
1980年に日本リーグの日立に入部。以後、チームや全日本の中心選手として長く活躍した。1984年ロサンゼルスオリンピックバレーボールでは銅メダル獲得に大きく貢献した。
人物・エピソード
阿見小学校在学中はTVアニメ(サインはV、アタックNo.1)の影響でバレーごっこに興じ、「日本一のアタッカー」を夢見る。垂直跳び75cmの秘密はここが原点かもしれないと杉山は述懐している。阿見中学に入学すると170cmの長身をかわれてバレーボール部に入部し本格的にバレーボールを始めた。
高校進学が決まると、父親から「急に伝統校の激しいトレーニングをすると必ずケガをするから、足腰を鍛えなさい」とのアドバイスを受け、毎日父や弟とともに3kmのランニングで鍛えたという。
全国高校強化合宿で訪れた日立の山田監督(当時)から、「努力すれば道が開けるからしっかりやりなさい」とのアドバイスを受け、「いつかオリンピック」を心に抱き、日立入りを決めたという。
球歴
受賞歴
- 1981年 - 第14回日本リーグ 新人賞
- 1982年 - 第15回日本リーグ ベスト6
- 1983年 - 第16回日本リーグ ベスト6
- 1984年 - 第17回日本リーグ ベスト6
- 1985年 - 第18回日本リーグ ベスト6
- 1985年 - 第34回黒鷲旗 ベスト6
- 1986年 - 第19回日本リーグ ベスト6
- 1986年 - 第35回黒鷲旗 ベスト6
- 1987年 - 第20回日本リーグ 殊勲賞、猛打賞、ベスト6
- 1987年 - 第36回黒鷲旗 黒鷲賞(最高殊勲選手)、ベスト6
- 1988年 - 第37回黒鷲旗 黒鷲賞(最高殊勲選手)、ベスト6
- 1989年 - 第22回日本リーグ ベスト6
所属チーム
参考文献
- 月刊バレーボール1978年6月号 82-83ページ
外部リンク
- 日立ベルフィーユの歴史 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)
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固有名詞の分類
日本の女子バレーボール選手 |
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全日本女子バレーボール選手 |
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オリンピックバレーボール日本代表選手 |
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