2度の欧米視察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:04 UTC 版)
新潟医科大学に赴任した当初の外科は外表と消化器を担当し、脳疾患を扱っていなかった。1924年から1927年のドイツ留学の際にEugen Enderlenの外科手術を見学し、同氏を後述のクッシングと共に「心の師」であると著書において述べている。ただし、他に見学した脳神経外科手術は「到底信頼の置けないもの」と述べており、1度目の視察ではあくまで外科一般の領域における影響を受けた。 後に日本で脳神経外科を発足させるきっかけになったのは、2度目の欧米視察であるといえる。1936年に米国イェール大学で脳神経外科医のハーヴェイ・ウィリアムス・クッシング(クッシング症候群の発見者)やウォルター・ダンディの手術を見学したことにより、クッシング氏の緻密な手術態度に感銘を受け、その手術法に共感を覚えた。クッシングの手術見学の際は、長時間の手術のために途中で次々と見学者が帰っていく中、最後の1人になっても熱心に見学を続け、クッシングはその姿を見て「肩につかまってもよいからよく見なさい」と述べた。 (なお、1932年に中田は初めて脳腫瘍(髄膜腫)の手術を行っている。)
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