齢松山福寿院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 15:12 UTC 版)
処刑後取り捨てられた頼保の胴体は、齢松山福寿院(茅野市)の僧の天空がもらい受け葬った。頼保の妻子もここに眠っている。 福寿院は二の丸家の初代美作守諏訪頼雄を開基とし、下って8代にして頼保を中興開基として開闢された。頼保は福寿院が貧窮した時に中興に尽力している。 現在は福寿院の墓地に妻子と並んで葬られているが、かつては罪人ということで表立ってまつることさえ出来ず、藩の目をはばかって、墓標の石は自然石を二つに割り、臨検があれば重ねて隠す造りになっていて、下向きに伏して倒されていた。 諏訪百番霊場の中5番札所。本尊は釈迦三尊仏。 諏訪88ヶ所霊場88番札所諏訪33観音霊場12番札所の観音堂。本尊は准胝観音。
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