麗々亭柳橋 (3代目)とは? わかりやすく解説

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麗々亭柳橋 (3代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 04:05 UTC 版)

三代目 麗々亭 れいれいてい 柳橋 りゅうきょう/初代 春錦亭 しゅんきんてい 柳桜 りゅうおう
本名 斉藤 文吉
生年月日 1826年4月30日
没年月日 (1894-06-08) 1894年6月8日(68歳没)
出身地 日本
師匠 初代瀧川鯉かん
二代目麗々亭柳橋
名跡 1. 瀧川鯉之助
(1842年 - ?)
2. 昔々亭桃流
(時期不明)
3. 初代麗々亭鯉橋
(? - 1851年)
4. 三代目麗々亭柳橋
(1851年 - 1878年)
5. 麗々亭柳叟
(1878年 - 1883年)
6. 初代春錦亭柳桜
(1883年 - 1894年)
活動期間 1842年 - 1894年
家族 四代目麗々亭柳橋(長男)
二代目桃川如燕(次男)
五代目麗々亭柳橋(三男)
所属 柳派
落語睦連(1875年 - 1894年)

三代目麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、1826年4月30日文政9年3月24日) - 1894年6月8日)は、落語家である。本名∶斉藤 文吉柳派に所属。実の長男は落語家四代目麗々亭柳橋、次男は講談二代目桃川如燕、三男は落語家五代目麗々亭柳橋という芸人一家。

経歴

16歳で初代瀧川鯉かんに入門しは瀧川鯉之助その後、二代目麗々亭柳橋の門で昔々亭桃流、さらに二ツ目で初代麗々亭鯉橋を経て1851年三代目麗々亭柳橋襲名。

1875年初代三遊亭圓朝六代目桂文治などと共に「落語睦連」を結成し頭取に就任。

1878年6月に柳橋の名を長男に譲り自身を 柳叟 りゅうそうとしさらに晩年の1883年には高座に上がらず初代春錦亭柳桜と改名し隠居生活に入り、弟子に稽古をつけた。

芸風

人情噺(「白子屋政談」)や音曲噺を得意とした。

河竹黙阿弥の名作「梅雨小袖昔八丈髪結新三)」の原作「仇娘好八丈」の作者。

弟子

出典




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