鹿児島市立山下小学校とは? わかりやすく解説

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鹿児島市立山下小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 06:35 UTC 版)

鹿児島市立山下小学校
北緯31度35分25.9秒 東経130度33分1.9秒 / 北緯31.590528度 東経130.550528度 / 31.590528; 130.550528座標: 北緯31度35分25.9秒 東経130度33分1.9秒 / 北緯31.590528度 東経130.550528度 / 31.590528; 130.550528
過去の名称 第三郷校
山下小学
山下尋常小学校
山下国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 鹿児島市
設立年月日 1878年(明治11年)
共学・別学 男女共学
学校コード B146210000060
所在地 892-0847
鹿児島県鹿児島市西千石町15番5号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鹿児島市立山下小学校(かごしましりつ やましたしょうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市西千石町にある市立小学校

概要

山下小学校は鹿児島市内における最も歴史ある公立小学校の一校であり、1873年8月に第三郷校として設立された。第三郷校は、1877年の西南戦争に城山落城と共に灰燼に帰したが、校区民の熱烈な教育愛により1878年10月9日に再建され、「山下小学」と名付けられた。1886年、小学校令施行により山下尋常小学校と改称、明治1887年には文部大臣森有礼の視察を受け、翌1888年には北白川宮能久親王の来校があった。

1945年6月、太平洋戦争における鹿児島大空襲により再び全焼し、休校のやむなきに至ったが、1947年4月には鹿児島市立山下小学校として再び開校された。 そして1949年6月3日には天皇の行幸(全国巡幸)で児童の作品と授業の天覧があった。この頃、定時制の高等学校が小学校校舎を間借りしており、高校生の建築製図の授業も視察している[1]

校名である『山下』は、鹿児島市の史跡名勝である「城山」の麓に所在することに由来する。

校訓

「負けるな」「うそを言うな」「弱い者をいじめるな」

沿革

特色

薩摩義士記念相撲綱引き大会、うずまき運動、向田邦子賞など

通学区域

関係者

主な出身者

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、856頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

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