鶴田任男とは? わかりやすく解説

鶴田任男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 04:18 UTC 版)

つるた たかお
鶴田 任男
生誕 1931年3月25日[1]
日本 宮崎県北諸県郡三股町[1]
死没 (2011-10-17) 2011年10月17日(80歳没)[2][3]
職業
肩書き
配偶者 鶴田 鈴子[5]
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鶴田 任男(つるた たかお、1931年3月25日[1] - 2011年10月17日[3])は、日本実業家政治家馬主

経歴

1931年生まれ[1]。戦後に福岡県炭鉱に3年間勤めたのち父親の工業の仕事を継ぐ[1]。その後建築関連の仕事を始め、ホテルやパチンコホールの経営にも携わった[1]1980年には、地元である宮崎県三股町町議会議員となっている[2]2011年に死去[3][5]。80歳没。

略歴

  • 1973年 - 鶴田産業株式会社を創立[2]
  • 1977年 - 鶴丸観光有限会社を創立[2]
  • 1980年 - 宮崎県三股町の町議会議員となる(2期8年)[2]
  • 1983年 - 都城サンプラザホテルを開業[2]

馬主活動

鶴田の勝負服

日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は紫、黄山形二本輪、桃袖、冠名は「ツルマル」を用いた。主に橋口弘次郎厩舎、坂口正則厩舎などに所有馬を預託していた。任男の死後は、妻の鶴田鈴子が相続限定馬主として所有馬を引き継ぎ[5]、その中の一頭であったツルマルレオン北九州記念を制している。

馬名の命名は初めは自ら行っていたが、その後は調教師や担当厩務員に任せていたという[1]

エピソード

前述した調教師の橋口弘次郎は、鶴田と同じく三股町出身であり、親交が深かった。実家も近かったという[1]1989年阪神3歳ステークス1番人気3着、翌年の東京優駿4着などの実績を残したツルマルミマタオーは、「三股町の名を全国に広げよう」と橋口と話して名付けた名前であった[1]。また、所有馬のローテーションや騎手の起用、引退後の繁殖牝馬の配合に至るまで、鶴田は橋口に一任していた[5]

来歴

主な所有馬

GI競走優勝馬

重賞競走優勝馬

その他の所有馬

脚注

注釈

  1. ^ 鶴田鈴子名義に変更後。
  2. ^ 2003年夏に地方へ移籍、名義変更後にもサマーチャンピオン3着、さきたま杯3着などの実績がある。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 週刊競馬ブック 2004年7月11日号 P212-214
  2. ^ a b c d e f 都城サンプラザホテル会長・鶴田任男の人生”. SUNPLAZA STAFF BLOG. サンプラザホテル (2011年12月4日). 2011年12月8日閲覧。
  3. ^ a b c 馬主の鶴田任男氏が死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2011年10月21日). 2023年2月17日閲覧。
  4. ^ 会社概要”. サンプラザホテル. 2011年10月25日閲覧。
  5. ^ a b c d e 【名馬は一日にして成らず】夢に架ける橋(38)”. サンケイスポーツ (2015年7月13日). 2023年2月17日閲覧。

参考文献

  • 週刊競馬ブック』2004年7月11日号
    • 芦谷有香「芦谷有香のオーナーサロン vol.209 第54代 安田記念優勝馬ツルマルボーイのオーナー 鶴田任男氏」

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