鬼谷算
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 21:33 UTC 版)
「中国の剰余定理」の原型とされる。 中国の漢の時代に韓信という大将がいた。彼は毎回部隊を集結して、兵を三列縦隊させたときのはしたの人数、兵を五列縦隊させたときのはしたの人数、兵を七列縦隊させたときのはしたの人数,それぞれ、1~3、1~5、1~7の数を報告させ、彼は兵が何人いるか分かったという。彼のこの巧みな計算を、人々は鬼谷算(きこくさん不思議な計算)とか韓信点兵(かんしんてんぺい)と呼んでいた。これが、のちに世界で「中国の剰余定理」といわれるようになった。 明代に到って、数学者の程大位(ていだいい)は鬼谷算を要約した「孫子歌」を著書「直指算法統宗」に載せた。「直指算法統宗」は「算法統宗」と略称され広まった。古い算法書が入手しにくかったころに、自分でコツコツ集めた算法書の面白いところを抜粋して紹介したもので、中国内に人気を集め、日本にも広まり、関孝和や吉田光由に影響を与えた。 関孝和の『括要算法』の亨巻(こうのまき) に「算法統宗」に載っている「孫子歌」を紹介している。『括要算法』は元巻、亨巻、利巻、貞巻の4巻からなり、亨巻とは第2巻ということにあたる。吉田光由は『塵劫記』で「百五減算」という造語で紹介している。 「算法統宗」に載っている「孫子歌」 三人同行七十稀、五樹梅花廿一枝、七子団円月正半、除百零五便得知。 (3人がそろって70になることは珍しい。5本の木の梅の花が21個。7人の子どもが正月15日に集まった。105をひくとわかる。) この詩の本当の意味は「3でわった余りに70をかけ、5でわった余りに21をかけ、7でわった余りに15をかけ、その合計から105をひくとわかる。」である。
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