高階宗章
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高階 宗章(たかしな の むねあき、寛治5年(1091年) - 没年不詳)は、平安時代後期の貴族。木工頭・高階為章の子。官位は正四位下・加賀守。
経歴
承徳2年(1098年)白河院の院蔵人に補せられる。蔵人所雑色を経て、康和4年(1102年)正月に六位蔵人兼右近衛将監に任ぜられると、2月には早くも従五位下に叙爵した。
翌康和5年(1103年)筑前守に任ぜられると、長治2年(1105年)越中守、永久元年(1113年)若狭守、保安2年(1121年)遠江守、大治4年(1129年)加賀守と、白河院政期から鳥羽院政期初頭にかけてほぼ30年に亘って5ヶ国の受領を務める。受領の傍らで、右衛門佐・中務権大輔も兼帯し、位階は正四位下に至った。
長承元年(1132年)加賀守を辞任し、以降古記録類に現れないことから、まもなく出家もしくは没したか。
官歴
- 承徳2年(1098年) 6月13日:院蔵人[1]
- 康和4年(1102年) 正月15日:六位蔵人、元蔵人所雑色[1]。正月23日:兼右近衛将監?[2]。2月2日:従五位下[1]
- 康和5年(1103年) 2月30日:筑前守[3]
- 長治2年(1105年) 12月30日:越中守、元筑前守[1]
- 嘉承3年(1108年) 正月24日:右衛門佐、守如元[1]、見正五位下?[4]
- 永久元年(1113年) 12月17日:若狭守、元越中守[5]
- 永久3年(1115年) 2月12日:従四位下[5]、止佐?[4]
- 保安2年(1121年) 12月29日:遠江守、元若狭守[6]
- 大治3年(1128年) 12月:見中務権大輔兼遠江守[7]
- 大治4年(1129年) 12月25日:加賀守、元遠江守、見正四位下[1]
- 長承元年(1132年) 閏4月4日:辞守[1]
系譜
注記のないものは『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
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