高校-NSC時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 15:04 UTC 版)
尾崎豊が大好きで、始めはお笑いよりも音楽に興味を持っていた。父親に高校の入学祝いとしてアコースティックギターを買ってもらったことがきっかけで曲作りを始め、同級生の友人らとともにバンド活動も行っていた。当時はボーカルではなくサイドギターを担当していた。 高校卒業時進路に迷っていたところ、同級生であった西条みつとし(後のあれきさんだーおりょう)がNSCに行くのを知り自分もお笑いをやってみようと入学を決意。1997年、彼と共に「ノンストップ」というコンビを組み、ツッコミを担当することとなる。当時はボケとツッコミを交えたオーソドックスなコントを主体とする芸風で、ネタを作っていたのは基本的に相方であった。 しかしNSC卒業後もお笑いでやっていこうという決意までは固まっておらず、ツッコミ役にも違和感を感じており、たまに出演していた銀座7丁目劇場が閉館するタイミングで吉本興業を辞める。これを機にお笑いそのものからも足を洗おうと考えたが、相方の説得もあり結局は新たな事務所を探すこととなる。 そんな折NSCの講師もやっていた放送作家の元祖爆笑王にワタナベエンターテインメントを勧められ、オーディションを受け一発合格する。晴れて「ナベプロ芸人」となり、コンビ名も「ノンストップ」から「ノンストップバス」へと改名する。
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